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「恵まれている」という認識について

自分の生き方や生い立ちに誇りを持っている。一筋縄ではいかないけれど、それはみんなきっとそうで、私は「必死に生きてきたこと」で、私としてのアイデンティティを確立している。

幸せというのは主観である。

愛する人と結婚して子どもを産むことやお金に余裕があって毎年のように旅行に行けることが「幸せ」といわれるけれど、幸せとはそれだけではない。

道端に咲いた花をみて心がほっこりすることや、たまに食べたチョコレートが甘くておいしかったことも幸せだ。誰かが勝手に作り上げた「絵に描いたような幸せ」でなくてもいい。

幸せの閾値を下げる。
これが一番幸せに感じることだなと思う。
いや、そりゃそうか。感受性を限界値まで上げているんだもんな。だから、私はめちゃくちゃ幸せである。今日なめた梅飴はとてもおいしかった!!

そういった自己認識、物事の捉え方で変わることは多い。逆に自己評価は高いのに下に見られることもある。

私はめちゃくちゃ愛されて育ってきた。
男兄弟の紅一点として生まれ、大人の顔色を伺いながらもわがままをいい、生意気で要領のいい子どもだった。

しかし、ある時高校の同級生と話しているとこんな言葉を言われた。
「そんな壮絶なことが…大変だったんだねぇ…」と。
高校は超温室育ち、心優しい生徒が溢れる今どきめずらしい学校だった。周りの友達もそれなりに裕福で、私の生い立ちの話をするとゾッとした顔をされたのだ。

中学までって同じような家庭環境の人が集まるものだと思うのだけど、私の周りは割と荒んだ地域だった。

今まで当たり前だと思っていた価値観は、地域を踏み出せば当たり前ではなく、「可哀想」に見えてしまうなんて。とっても悲しかった。

片親がスタンダードだった。夜、親がいないのは当たり前。飯は自分で用意する、家事も家族の分もする。持ち家も、お金もない。常に何か問題が起こっている。だけど、自分のことは自分でできる。

だから、みんなある程度料理ができて、鍋パーティーやらタコパパーティーなどで大盛り上がりする中学生だった。

誰もいなくて寂しい夜ならみんなといればいい!と、夜遅くまでゲームをし、イラストを描き、動画を作り、踊ったりと友人だけの時間を楽しんだ。

確かに、側から見たら「寂しい」「可哀想」な子たちに見えたのかもしれない。けれど、みんなで笑い合い、腹がちぎれそうになる毎日が可哀想なわけがない。

表面上のステータスで「幸せ」を押し測ってはいけない。私たちは私たちで「幸せ」を決める権利がある。

それに気づけている時点で私はとても恵まれているのだ。

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