ぼーっとスポット

息子のお迎えでてくてく歩いていたら。水を入れている途中の田んぼがあった。


手前から水が入っていって、段々じわじわ奥に流れていく。奥の方はまだ土ばかりで、水の進み最前線では、一番低いところが少しだけ水に浸かっていた。これから勢力を広げていくのだと思う。手前の方も、高い部分はまだ全然水に浸かっていなかった。当たり前なんだけど、その違いがなんだか面白い。


一番手前、水路と繋がった部分は開けられていて、絶えず水が入っていた。水が流れていく様も、水音も、とても心地よかった。


ふと、ぼーっとしたいなぁと思った。

このままずっと、田んぼに水が入るのを見ていたい。ぼーっとしていたい。

水がじわじわ土の道を進んでいくところを見たり。高いところも段々浸かっていくのを見たり。水が流れる音を聞いて、風を感じて。ぼーっとしていたいなぁと思った。

しかしながら。私は今、息子を迎えに行く途中なのである。待ち合わせ場所に私がいなかったら、「どうしたんだろう」ってなると思う。私が待ち合わせ場所にいなかったところで息子はてくてく自分で帰ってきて、いずれ会うことにはなるだろうけど。まぁ今日は、迎えに行こうかなぁ。

気が済むまでこの場でぼーっとする想像をしつつ。実際には息子を迎えに行くために歩き出した。

合流後。帰りにまたこの場を通った時、息子と少しだけこの田んぼを眺めた。行きと比べて田んぼの水が増えていたのかはちょっとわからない。水はずっと入っていたのだから、その分増えてはいるはずだけれど。

こういうじわじわ、じわじわした変化をぼーっと見ていたい。そんな気分だったのだろうと思う。そのじわじわ感がとても心地よかった。


今の私は暇だから。ぼーっとしようと思えばぼーっとできるのである。今度息子のお迎えが迫っていない時にやる気があったら、どこかでぼーっとしたいなぁと思う。

ただ、ぼーっとするって、簡単なようで難しくて。意外とやる気になる時が少ないのだよなぁ。だからこそ、「ぼーっとしたい」と思った時にはそれを大事にできたら良いなと思う。

これからの季節、田んぼに水を入れるのはちょこちょこ見られそうだし。タイミングが合えばぼーっと眺めたいなぁと思ったのだった。



ではまた明日。