人の3倍の努力

人の3倍努力するという話を読んだ。3倍努力していると神様が力を貸してくれて、それが3倍以上の力になるというものだ。

神様という存在が本当にいるかどうか、力を貸してくれるかどうかは置いておいて、人の3倍努力するというのは並大抵のことではない。「何もしていない人の3倍」ならどうにかなるかもしれないが、「普通の人の努力を1とした場合の3倍」だった場合、それこそ体調を崩す勢いでそれだけに集中しないと到達できない領域なのではないだろうか。

実際、書いていた人も体調を崩して当時の仕事を最終的にはやめたようだ。その時の経験があるから今があるわけで、それは決して無駄なことではなかったのだろうが、一体何がそこまでその人を突き動かしたのだろうか。

普通に生活していれば、興味のあることというのはどうしても分散する。仕事をしている時でさえ仕事のことしか考えないのかと言えばそんなことはない。今日の晩御飯は何を作ろうかな、子どもと何を話そうかな、同僚の話、自分の話、考えることはいろいろある。

寝ても覚めてもその事柄を考えている状態にしないと3倍は無理なのではないだろうか。隙間時間をどうにか見つけ、その時間も投入する。必ずしも使った時間=努力ではないのだろうが、使える時間は全て使い、頭も身体もフル回転させてやる。そこまでしてようやく、3倍の努力になるかどうかだと思う。

それは、「やらなきゃいけない」とわかっているだけではできない領域で、それ以上の「何か突き動かすもの」がないと実行できない事なのだと思う。それこそ「運命」とか「神様にそれをするよう導かれた」とか、目に見えないよくわからない力が関わっていると言われてもおかしくないと個人的には思う。正直、普通に生活していてそこまで突き動かされる何かに出会うなんて、なかなか無いからだ。

普通の人が一生かかっても出会う事があるかどうかわからない努力との出会い。だからこそ、その体験をした人は、普通では得られない「何か」を得るのだろう。そこにはもしかしたら神様も関わっているのかもしれないけれど、一番はその人本人の並み外れた努力の結果なのだと思う。

そこまで努力できる何かに出会いたいかと言われると、正直どうだろうな。独身時代なら、出会っても良かった。ただ、今は家族がいる。3倍の努力はおそらく家族を蔑ろにしてしまうし、最終的に素晴らしい成果が出るとしても、努力の最中は家族を悲しませることが沢山あるだろう。

現実的に今できそうなのは、1.5倍くらいの努力だろうか。家事も育児も仕事もやって、毎日読書しnoteも書く。それなりの努力の上に成り立っている生活だけれど、人の1.5倍かと言われると、足りない気もする。

努力の先に何があるのか。一心不乱にひとつのことをせずとも、努力した分だけの何かは得られると思うので。今の生活に少しの努力をプラスしてみてもいいかもしれない。

最近、以前読んだ本の野菜スープを日々の献立プラス1品で毎日作っているので、それも少しの努力かもしれないな。努力で少しずつでも人生が良い方に向かっていけば幸いだ。


ではまた明日。