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かんがえこと-6 10.14

10.8(月)晴

しごとのことばかり考えている。

「生きるように働く」を読む。全く異なる分野ではたらく人たちにも、根っこには共通しているものがあって。やっぱり自分としごとの間に境界は作れない。著者も一緒にかんがえているような、寄り添ってくれるような文体も、良い。

お世話になっているカフェでシナモンバタートーストをたべていると、ノリコさん、という常連の女性がやってきて、しごとの話をたくさん聞かせてくれた。化粧品を「売る」しごとから、今は人に化粧を「する」しごとへ。もう本にしたいくらいのドラマチックな人と人のはなしに聞き入ってしまう。”志” で ”志事” とは!


カフェを出て、駅とは反対方向へ歩く。千川まで、と思いながら、要町まで歩く。要町通りは、良い。「過去と現実」が、沁みる。というよりも、ずぶずぶだ。私のほうが。


10.9(火)くもり

淡々と、無機質に書こうと思っていた日記も、気づけばどんどん垂れ流している。好きで書いている文なら良いのだ。いちばんの読者は自分、てブログの神様も言っていたし。


遅番でしたので、午前はG.Itoyaへ行く。「白い紙」を見る。全部白い紙をひとつずつ読むように目で追って、表情と質感がよいものを吟味する。


10.10(水)

心を入れ替えて、誠実に、感謝の気持ちを忘れずに、仕事に取り組もう、と思っていたところだった。けれど、いつだって、それは突然やってくる。

”イレギュラー”はそれが集まることによってそれを”スタンダード”にさせるようなところがあって、その流れにいるうちは、なかなk自分では気づくことができない。


10.11(木)雨

気づけば9時間寝ていた。出版流通のはなしを読んでいるせいか、夢にまでつづいていて、取次の人に会ったりしていた。どの人も、夢の中でも良い人だった。


10.12(金)くもり

サンドイッチが食べたくて、パン屋に行く。ひとが作った、温度のあるサンドイッチ。<トロワ>のサンドイッチのような。


仕事のあと、職場のそばのコンビニに入った。みな労働していた。誰も見ていなくても。店員も客も全員外国人で、でも日本の秩序が保たれている。この国はもう外国人がまわしている。


夜は通りが静かで。まばらに通り過ぎる車のリズムを感じながら、結婚てしたことないんですが、きっと、静かに、ただつづいていく、そういう感じなのかもしれない、そういう感じならいいな、と思いました。


10.13(土)くもり

パンの食べられるパン屋、にて、いい気分で本を読んでいたのだけれど、そろそろ出るかという段になって、今日お届けする手紙のようなものを家に置き忘れてきたことに気づく。

自分に納得がいかないまま、一度家へ戻ることにする。

ずっと、忘れ物をしないということには不思議と自信があったのだけれど、結局、忘れ物をしないように、ということ以外にかんがえていることがなかっただけで。

そのあとも電車には間に合ったけれど、目的地から一駅乗り過ごした。小林秀雄と、常識についてかんがえていた。


世田谷文学館にて、吉田篤弘、吉田浩美、三浦しをん、公開読書会。楽しく深い話の中に、私には素通りできないことばが多く。”温度” ”即興的“ そしてテーマでもある”終わり”のこと。小説を書き始めるときに、話の終わりは決めていないという。終わりのことばかりかんがえている私は。

先週の日記を読み返してみる。

終わりは悲しいことであり、私には終わるのがわかっている気がしている?かんがえることで、終わりがあると、認めている?


家に帰り、忘れてしまっていた春太のお供えのフードと水を交換しようとして、突然、喪失感に襲われる。

手の平に収まる皿の感触、フードの匂い、皿を洗って水を入れ替えて、フードを目分量で掬って入れて。一つ一つの動きが半年以上経ってもまだ手に染み付いていて、たとえ死という現実でも”終わり”ではなくて、でも苦しくて、もう何も、失いたくない、と思う。

三浦しをん「春太の毎日」を読んで、日記を書いて、ねる。


10.14(日)くもり

ことばの重さ。

いいねの温度はどのくらいのものなのでしょうか。

水道の水は飲めないのに、他人へ向ける言葉には鈍感な人たち。

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