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描写の呪い

日々生活していると様々なことが頭に浮かぶ。しかし文章を書こうとすると、何も思いつかない。そもそも文章にするようなことを普段考えていないのか、それともどこか構えてしまうのか、書きたいことがまるで無い。画家の横尾忠則があるインタビューで、絵を描いている時は頭は空っぽで何も考えていない、と言っていた。まるでチンパンジーのようにただ本能に任せて描くそうだ。なにかコンセプトやテーマを決めてそれを表現するのなら、言葉で表現すれば十分なのであり、そこからはみ出る、つまり言葉に出来ないことを表現するために絵を描くのだろう。彼に倣って何も考えずに文章を書いてみる。頭で思いついたアイディアを言葉にするのならただ頭で思っておけば良い。文章という見える形にするのは、頭で考えたこと以外の言葉を溢れさすためなのではないか。電車で窓越しに私を見ている人がいる。夜の街に写って黒々としたその顔に見つめられるとホラー映画を思い出す。私はこの人に呪われるのではないか。だいたい人間のほうがお化けよりも怖いものだ。恨みつらみを内に積上げながら生活している人はざらにいる。お化けは既に死んでしまっているのだから、恨みの量も頭打ちだが、生きている人は際限なく他人を恨むことが出来る。この人は瓦を一つ一つ積み上げるように、私を見つめながら呪いの力を高めているようだ。ただでさえ簡単に人を呪う人なのに、それを私は今文章で描写している。こんな罰当たりなこと、さらに瓦が積み上がる。どうしたら割ることが出来るのだろう。とりあえず文にするのをやめよう。そしたら何かが変わるかもしれない。その後のことはどうにか伝えたいのだが、呪われるのが怖いので文章にすることは出来ない。どうしたものか。とりあえず、ジレンマにすり潰される前に終わりにしようと思う。

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