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ガス欠にスピード違反、ハプニング満載のアメリカ西部バイク旅

アメリカ西部 バイク旅 4

ふたたび荒野へ

 1992年10月16日の朝8:20、ヨセミテ渓谷のカーリービレッジを出発、とはいってもヨセミテ国立公園は広い。パークゲート(ティオガパス)を10:00に通過して峠を越えてリーバイニングまで来ると荒野の中にモノレイクが見えます。モノレイクは周辺からカルシウムを多く含む水が流れ込んでいるので、アルカリ性で塩分濃度の高い塩湖です。リーバイニングからUS394号(シーニックハイウェイ)をひたすら走り続けます。

ハイウェイ

交通違反で捕まる

 カリフォルニア州のハイウェイを走っているとスピードリミットサイン(制限速度表示)が立っています。街から遠くて何にもない所ではマックスで時速80マイルの表示あります。それが街に近づいてくると55、45、35と下がって街なかでは25マイルの制限速度になります。
 お昼まえ、地図で見るとそろそろビショップの町が近くなってきたかな?と思われる頃、制限速度55マイルから45マイルに下がったところで、な、なんと警察官に止められてしまった。

どこだっけ?

身を守るための知識

 実はロスアンゼルスでバイクを借りた時に、バイク屋さんから「気を付けるよう」に言われたことのひとつに、警察官に任意聴取された際の注意事項がありました。その内容は
①制止されたら素直にその場で動くのを止めること
②何かするよう指示されたら必ず「ゆっくり」とそれをすること
③免許証を見せろと言われたら、まずバッグの中にあることを伝えて
④見せろと言われてからバッグをゆっくりと開け、中を見せてから出すこと
⑤決してあわててポケットに手を突っ込まない。もしやった場合、ポケットの中に武器があるとみなされて、警察官に銃で撃たれても文句は言えない

アメリカの警察官

 このことはしっかりと記憶していたので、いま思えばその時けっこう冷静にそのとおりやりました。そのころ私は日本でもスピード違反の経験が豊富だったので、あぁアメリカでもやっちゃったか、いくらとられんだろうなぁ、やれやれとおもっていたところ、警察官も「やれやれ」といった感じで、国際免許証とパスポートをいちおう見て「行っていいよ」と言いました。さすがに安心と同時に感激して、握手をしてしまいました。
 なお、私とおなじタイミングで捕まった地元の人とおぼしきおばさんは、しっかり切符を切られていました。あとで件(くだん)のバイク屋さんに聞いたら、外国からの旅行者の場合は「もういいよ」と言われるケースが多いらしいです。
 ちなみに、友人は私の遥か後ろを離れて走っていたので、ビショップで合流するまでこのことを知りませんでした。ビショップに着いたらちょうど12:30だったので、日本と同じような建物と看板のデニーズで昼食にしました。ただし、メニューは日本のそれとは大きく違っています。私が注文した「レバーステーキ」は厚さ1cm以上のステーキサイズのレバーが鉄板の上に2枚のっている食べ応えのあるものでした。

デスバレー 標高-86 m

 さらにシーニックハイウェイを走ります。右手にシェラネバダ山脈を眺めながら、インディペンデンスという町を通り過ぎてローンパインからカリフォルニア州道190号線を走ってイニョー山地をこえると日が暮れかかってきました。
 日が傾き始めたころデスバレーに到着しました。ここは見渡す限りの砂漠や乾ききった塩湖のバッドウォーターは海面下86mと西半球で2番目に海抜が低い場所にあります。デビルズゴルフコースという名前の塩の結晶の盛り上がったような、亀の甲羅のような地形の場所があります。また、流れ込む川(アマルゴーサ川)があるものの、水は砂に吸い込まれて流れ出る川はなく、世界最高の気温56.7℃を記録した場所でもあります。暗くなるギリギリにFurnace Creek Ranch(California 190, Death Valley, CA 92328)に到着。今夜はここに泊まります。

灼熱のデスバレー

強制収容所

 宿に着いてから友人に聞いたのですが、インディペンデンスとローンパインの町のあいだにマンザナー強制収容所(Manzanar internment camp)の跡地があって、州道からその一部が見えたそうです。私は彼と少し離れて走行していたので、その時は気が付かなかったのですが、ここには第二次世界大戦中に日系アメリカ人が収容された収容所のひとつで、現在はマンザナー国定史跡(Manzanar National Historic Site)になっています。
 この日系人への強制収容に対して1988年にロナルド・レーガン大統領(当時)が公式な謝罪して、賠償金も支払われたそうです。いまも世界のどこかで戦争があってなくなりませんが、いまでも戦争は人々を狂わせ人権を無視した行為にはしらせます。またここはNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」(1984年、松本幸四郎主演)のワンシーンとして出てきましたが、西田敏行や沢田研二も出演してましたし、三船敏郎が主人公松本幸四郎の父親役でした。日系アメリカ人二世の兄弟を中心に友人や家族が引き裂かれた太平洋戦争を描いたこのドラマのワンシーンを思い出しました

デビルズゴルフコース

 1992年10月17日の朝8:10。デスバレーのホテル(Furnance Creak Ranch)をたって、前日の夕方に見れなかった“Devil's Golf Course”を見にきました。見渡す限り、地面はごつごつしていて地球の風景とは思えない月面のような風景です(二枚目の写真)。
 その後、州道を経てUS95号線をラスベガス方向へ向かいます。道行く車両は超大型のトラックか、キャンピングカーをけん引する4WDが多いですが、そろそろバイクのガソリンが少なくなってきたのでラスベガスで給油するつもりでした。US95はラスベガスの中心市街地を通過する国道です。しかし、私はどういわけか市街地を通らないバイパスを通ってしまいました。はるか遠くにラスベガスのビルが立ち並んでいるのが見えますが、あまりに遠いので立ち寄るのをあきらめて素通りすることにしました。

キャンピングカー

荒野の中心で、ガソリンがない!

 その時は、ラスベガスは大都市だから、近郊の小さな町にガソリンスタンドぐらいあるだろうと思い、どんどん走っていってしまいました。DryLake(ドライレイク)という地名の場所からは「砂漠の中の一直線」が延々と続きます。すでに12:10を過ぎていたので、朝買っておいたパンでお昼にしました。さらに走るとCrystalという小さな小さな村にたどり着きました。このあたりは「モアパ・リバー・インディアン・リザベーション」と呼ばれるインディアン居留区のひとつです。売店より品数の少ないお店とと家が数件見えるだけの小さな村で、ガソリンスタンドはありません。そろそろバイクのガソリン残量がやばくなってきてます。目分量であと20マイルぐらいなら走れそうです。ネイティブインディアンっぽいお店のおじさんに、ガソリンスタンドまでの距離をたずねると、静かにそして物憂げに「フォーティーン・マイルズ」と教えてくれましたが、英語力の劣る私は「なぬ~、あと40マイルも先か~」と勘違いしました。

ハイウェイのランチ

 ラスベガスに戻ろうとすると50マイル以上あるし、何もないこの町で助けを待つわけにもいかないので、とりあえずさらに東へ走り出しました。道は相変わらず、砂漠の一直線が続き、行けども行けども無限に地平線が続きます。「ひょっとして、自分はこの砂漠の真ん中で28年と8か月(当時)で人生を終えるのか」という考えが頭の中をよぎります。つぎに見えてきたUto(ユトゥ)という町にもガソリンはありません。バイクの距離メーターはさっきのCrystalから10マイル、11マイルと距離を伸ばしますが、私にはすごく長い距離に感じます。メーターが14マイルに届きそうなころ、空と大地の間にガソリンスタンドの看板が見えてきまました。私はようやく、さっきのおじさんが14マイルと言っていたことに気が付きました。ここはGrendale(グレンデール)という州道と国道が交差するポイントで近くにはホテルもある小さな町です。ガソリンを給油して、まずはひと安心。

セントジョージに到着

無事、セントジョージに着いた

 その後、Bunker Ville(バンカービル)、Mesquite(メスキート)を経て、16:30にSt.George(セントジョージ)に到着し、街の入り口にあったモーテルで泊まることにしました。セントジョージはユタ州ワシントン郡の郡庁所在地で、1861年にカトリック教徒が綿花栽培で開拓を始めた歴史のある街です。スカイウェスト航空(地域航空)の本社やウォルマートの物流拠点、またディキシー州立大学もある結構大きな街です。

チャーチ

セントジョージでかなえたい夢

 最近知ったのですが、セントジョージ市は岐阜県揖斐川町と姉妹都市で、私が何度か出場したことのあるいびがわマラソンで上位入賞すると、もれなく「セントジョージマラソン」に招待選手として出場できるそうです。もしかなうのなら招待選手は無理にしても、毎年10月にあるというこのマラソンに参加できればいいなぁ・・・と思いました。これが「かなえたい夢」かなぁ。

セントジョージ市内

ザイオン国立公園

 10月18日は、朝8:50にセントジョージを出て、州道9号線でHurricane ~ La Verkin ~ Virgin ~ Rock Villeを進み、9:44にはゲートでチケットをゲットしてザイオン国立公園(Zion Natinal Park)にやってきました。ザイオン国立公園は日本ではあまり知られていませんが、2017年の全米来訪者数ランキングでは、①グレートスモーキー国立公園(ウェストバージニア~テネシー州)、②グランドキャニオン国立公園(アリゾナ州)に次ぐ第3位の人気を誇るスポットです。

ザイオン国立公園

 この地には8千年前からアメリカ原住民族が住んでいましたが、ザイオン(Zion)の地名は1850年代にこの地に来た開拓者によって、聖域という意味のヘブライ語がつけられました。公園の入口に立つと、独特な雰囲気のある岩山がそびえ立っているのが見えます。
 色の違う岩が幾層も重なっています。足元がチョコレート色、その上のちょっと赤くなったところがバーミリオン層(約2億年前の層、火山活動が地球全般で盛んだった頃)その上の白の層は約1億年前に堆積した乾燥した砂漠地帯の砂浜が固まって出来た層と続いています。 渓谷全体の落差は600m~1200mありますが、コロラド川の支流ノースフォークバージン川に侵食されていまの形になったそうです。

ザイオン国立公園

モニュメントバレーが見える

 ひととおり散策した後、公園内を走るマウントカーメルハイウェイを通って景色を堪能してから、US89号線を走り、Kanab ~ Page を経て、 Kayenta(カエンタ)まで来ると地平線の向彼方にモニュメントバレーの岩山が見えてきました。ドキドキする気持ちとバイクのスロットルを抑えつつ憧れの地に近づいていきます。 (つづく)

モニュメントバレーが近い


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