就職ガチャを失敗した私が、もう一度転職を決めた話


上には笑顔で媚び、下には暴言を吐き、

相手のミスには怒鳴り散らし、

自分のミスはなすりつける。

部下は育てるものではなく、ストレス発散の対象。

それが、1年前までの、「上司」の定義でした。



きみの言葉に救われた




こんにちは、月子です。

20代後半の新婚です。


この歳で2回、転職しています。そう言うと、「何かあったんだろうな」という顔をされます。おっしゃる通りです。パワハラ企業と、ブラック企業を渡り歩きました。ガチャ運の悪さよ。

4年ほど前、そこそこ名が知れた大学を卒業した私は、大手銀行に入社しました。

ここまでは華々しかったのですが、そこから転落しました。



この記事は、

就活ガチャに失敗した20代の派遣社員が

ある人たちの言葉により

もう一度、正社員への転職を決意する話です。


一社目:銀行時代


配属された支店は、収益ワースト5位以内が常連の支店で、

3年連続で新人がやめていったという地獄みたいな場所でした。

入社5か月目で、私の目は死んだ魚のようになっていました。


「収益あげろ!」と怒鳴り続ける支店長、
「研修やったんでしょ?それ見て」と冷たく突き放す上司、
放置プレイで知らん顔を続けるOJT、
死んだ目をした一般職の先輩、
挨拶もなく、殺伐とした雰囲気が漂う支店でした。


毎日「契約とるまで帰ってくるな」と

誰の付き添いもなく、外回りに放り出されました。

駅のホームで「死のうかな」と泣いて帰りました。

家に帰れば、資格勉強に明け暮れ

寝る前に、上司の発言が心に刺さり、満足に眠れない日も続きました。

久々に会った友達に「大丈夫?」と心配されるほど、顔はやつれ、髪はパサつき、目の下にはハッキリと隈ができていました。

しかし自分の容姿を気にしている余裕などありませんでした。

支店長も、上司も、OJTも、先輩も、支店の雰囲気も何も変わらないまま1年が過ぎました。

限界でした。

私は疲れ果てて、退職を決意しました。


二社目:ベンチャー企業


そのあと2か月の転職活動を経て、ベンチャー企業へ入社しました。

「とりあえず働かなくては」と焦って転職をしたのが失敗でした。

3か月後には、ここに入社した私の判断を、本気で後悔します。


飲み会の次の日、社長から呼び出しされて
「俺と目を合わさなかった!」「俺の、焼酎の氷が少なかった!」などと、午前中怒られまくりました。理不尽すぎて泣きました。

社用車のなかで、40代の営業男性から「ヤろうよー」と冗談を毎日言われたり

私のOJTが、商品や社用車を蹴っ飛ばして破壊したり

パワハラ・セクハラが横行した会社でした。穏やかじゃない。
さらに福利厚生も皆無でした。私が申請した残業時間がモノスゴク減っている・・・

特にキツかったのは上司の発言でした。

「病気なんじゃない?」「そんな仕事もできないわけ?」と毎日のように言われ続けました。

会社の雰囲気も悪く、総勢20名の会社で

半年で8人やめました

私も今すぐにもやめたかったのですが

金融時代をすぐにやめてしまったので、我慢して耐えてました。


社長から怒鳴られても、先輩からセクハラを受けても、OJTからパワハラを受けても、上司から人格否定の言葉を浴びせられても、

笑顔で頑張れば、きっと、いつか。


周りの友人は同じ会社で、2年目3年目とキャリアを積んでいるのに、

1年で銀行やめて、ここもやめたら、完全にレールから外れてしまう。

だから、どんなことがあっても、やめては、

やめては・・・


しかしある日、私の心はポキリと折れました。

上司の雑務を押し付けられ、22時近くになっていました。

帰り道、都会のネオンが騒がしく光ります。

頭の中で、もう一人の自分が呟き続けました。

「今日の残業もなかったことにされるだろう・・・
明日も理不尽なことを言われるだろう・・・
誰にも感謝されないだろう・・・」

歩くたびにネガティブな思考が生まれては、

頭の中を覆いつくします。

ふっと、世界が急に灰色になりました。

足元がぐにゃりと歪んでいくのを感じます。


そうか私は、社会不適合者なんだ

社会に生きづらい人間なんだ

社会に何も貢献できない、ゴミなんだ


慌てて公衆トイレに入り、わんわん泣きました。

中学、高校、大学と通わせてもらったのに、出来上がったのは社会不適合者。私の前には絶望しか広がっていませんでした。私は一生、幸せになれないのだと悟りました。

私なんて、生まれてこなければよかったのに。

そうしたら社会にも親にも、迷惑をかけることなんてなかった。



半月後、私は会社を退職しました。


救われた言葉


20代で転職を2回した私、

まだ救いがあったのは「働かなくては」という意識があったことでしょうか。

ただ社会貢献や、自分のキャリアなどは完全に諦めました。

「定時上がり・福利厚生がほしい」と思った私は、派遣社員になりました。

派遣社員から正社員に戻ることは難しいと、分かってはいました。

しかし社会不適合者の自分が、会社のために働けるとは思えませんでした。

そのため派遣社員の中でも

責任がなく、仕事量が少ないものを選び

面接を受けに行きました。

派遣社員になってからも揉め事はありましたが、

仕事はものすごく楽だったし、

福利厚生も充実していたので、

昔よりは心穏やかに仕事をしていました。

「昔よりはマシ。定時であがれるから家事できるし、仕事楽だし、ハッピーだ」と言い聞かせながら。



そんな時に出会ったのが、別部署の課長でした。

仕事柄、絡むことも多く、

年齢は10歳以上離れているのですが、

違った価値観を共有することができ、有意義な時間を過ごしていました。

直接見たことはありませんが、話しぶりから、仕事ができることは伺えます。

部下の方からも信用が厚く、尊敬の念でいつも見られていました。


そんなある日、課長と転職の話になりました。

この時、転職はすでに1年前の話になっていました。


そのため転職は

「解決したこと」だと思っていました。


「どんな会社だったの?」

「あはは、マジ、やばかったんですよ!笑いますよ!」


そんな風に

世間話のように軽いノリで、

今まで働いてきた会社のトンデモナイところを、

笑いながら話していました。

しかし話している途中です。

ぽたり、ぽたり、と涙があふれてきました。

そうです

解決なんて、していませんでした。

『キャリアの私』は

生傷を負ったまま、ずっと痛んでいました。

私は治すことなく、ずっと見て見ぬふりをしていました。

嗚咽を漏らしながら、私は話します。


「また、いじめられるかもしれない・・・

怒声が響く職場で精神的に病むかもしれない・・・

泣きながら毎日帰るかもしれない・・・

そして結婚した今『転職』というワードは、

地雷のように心に埋まっています

もし踏んでしまったら『家庭が壊れる』という

爆弾になるかもしれないと、本気で思っています。

職場のストレスで、旦那さんや子供にあたるかもしれません。

仕事が忙しくて、家事が手につかなくなるかもしれません。

人間関係に悩み、心が病んでしまうかもしれません。

そんな可能性があるんだったら、

今のまま派遣社員でいたいんです」


私の訴えを聞いて、一つだけ問われました。


「5年後、あなたは何になりたいの?」



私の頭の中は、真っ白になりました。

家庭のイメージは膨らみますが、

仕事やキャリアについては何も浮かびませんでした。

この時、私は気づいてしまったのです。


「自分って、自分のこと何も知らないんだ」


愕然とする私に、闘志を静かに燃やした課長の姿がありました。


「あなたの、転職を手伝います」



それから課長とヒアリングする毎日が続きました。

課長から出された宿題をこなしたり、自身で情報収集し、20代の転職について共有したりしました。

課長はものすごく優しかった。

たとえば提出した宿題、

取り散らかった文章なのに「すごくいいね」と褒めてくれたり、

私の苦労話の中から、学んだことを気づかせてくれたり、

「月子さんなら、絶対に大丈夫だよ」と力強く励ましてくれました


冗談でもなんでもなく、神様みたいに見えました。



言い訳がましいですが、私は正社員の時、必死にあがいてました

不器用で、理論的に説明するのも苦手です

マルチタスクも苦手で、上司から言われた通り「病気」なのかもしれません

それでも営業として何が大切か、やみくもに頑張っていました

しかし、どんな方法も全否定されるだけでした

「結果に結びついてない」「本当に仕事できないよね」

底なし沼の中で、溺れているような毎日でした。


しかし、今は違います。

やみくもに頑張った過去を肯定し、

私の中に積もっていた

学びや気づきを、教えてくれる人がいます。

私が自己分析や収集した情報を持っていけば、

満足そうに頷いて、何倍にして返してくれる人がいます。



一度聞いたことがあります。


「なぜ、ここまでやってくれるのですか」


私の質問に、きょとんとして返されました。


「人を育てるのは、上司としての義務でしょう」


「当然だよ」とでも言いたげな顔に私は、少し笑って、泣きました。

あの時の言葉に、私は救われたのです。


#きみの言葉に救われた


転職奮闘ブログをやっております

よければ応援してやってください



今夜の晩酌にて、発泡酒がビールになります。ありがとうございます。