シン・エヴァンゲリオン雑感

 宝島社時代の町山智浩さんの出世作『おたくの本』(1989)は今となっては貴重な「エヴァがかけらも存在しない時代のおたくを扱った本」だけれども、そこに所収された浅羽通明『「おたく」という現象』にはこうある。

「子供部屋のTVの前に座った中高生たちにとっては、残業で遅い父親や、キッチンで冷凍食品を解凍している母親や、お愛想ていどにしか口をきいたことのない教室の隣の席の友人よりも、同じ時間(平日の夕方)に勉強部屋のTVで『ヤマト』や『ガンダム』を観ている全国のアニメマニアの同世代の方が遥かに身近に感じられたのである。日常の人間関係が希薄化したとき、サブカルチャーのリアリティを媒体として、十代の対人的距離感覚が、思わぬ変動をきたしつつあった。」(浅羽通明『「おたく」という現象』)

 ここに描かれた、親や級友と“断絶”し“日常の人間関係が希薄化”した内省的な子供の姿が、ずいぶんと牧歌的に思えないだろうか? ここでの「おたく」はまだ小児病的な季節限定の病にすぎない。決して人の一生を覆い尽くすような業病ではない。

 彼の「おたく」は観客を放り出す「終劇」の衝撃を知らない。ひとりで答えを見つけるために、子供が大人になってもまだ足りない長い長い沈思黙考の時間も持たない。終わったはずの青春が「新劇場版」として鳴り物入りで帰ってきたときの戸惑いを知らない。クライマックスで9年も沈黙してしまう青春を知らない。まさか浅羽もこの項を書いた6年後に出てきたアニメが25年もつづく呪縛になるとは想像の埒外だったろう。

 25年と簡単に云うが、人生のフェイズの一つや二つはその間に大概の人間が通過してしまっている。『林原めぐみのTokyo Boogie Night』というラジオには全国のソフトランディングしたかつてチルドレンからの手紙がとどく。そこでは部下や子供の扱いに悩んだり、老いた親のことを心配している、ミドルエイジの悩みがときにこぼれる。わたしたちは老いた。だがそれはどこかに決定的な若さを引きずった老いだ。

 だって彼らの物語は完結していない。だって彼らは14歳のままだ。それがわたしたちの人生の決定的なエクスキューズとなり、わたしたちは柔らかい殻に若い自分を包んだまま身体だけを老いさせた。不夜城のような都会の姿はもはや思い出の中にしかないが、わたしたちの胸の都の灯は消えないままだ。

 エヴァの最後の映画はまるでアルコホル中毒患者の集団カウンセリングのようだった。話を聞かせてくれてありがとう、ボブ。ところで、ボブ、いったいおれの話はいつすればいいんだい? いったいおれはいつ、誰に、終わるタイミングを失った青春の話をすればいいんだろう?

 シン・エヴァンゲリオンの長い長いエンドロールを食い入るように見つめていたのは、そこに刻まれているはずの自分の名前を見つけるためだ。もちろん答えは劇場の外にしかない。「終劇」は最後のはじまりの合図で、あとは自分の人生を語るだけ。それがたぶんわたしにとって一番長い映画になるだろう。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?