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鶏もも肉のブレゼで肉料理の科学を理解する

肉を柔らかく煮こむのは意外と難しいもの。柔らかく煮込もうとしたのに、肉がパサ パサになってしまったり、煮汁は美味しくても肉自体の味がすっかり抜けてしまっ た、という失敗もあります。しかし、肉の加熱に関する原則を理解すれば、そのリス クを減らすことができます。

鶏のブレゼ トマト風味
 鶏 もも肉 1枚
 (ブライニング液 水 200cc 塩10g 砂糖 5g)
 玉ねぎ 半分
 トマトペースト 大さじ1
 白ワイン 100cc
 (コニャック 30cc)
 ブイヨン 100cc(市販のブイヨンキューブ一個を300ccで溶いたもの)

本来のブレゼには他にもにんじんやにんにくなど様々な野菜が入ります。その理由は 後述しますが、今回は加熱の原則を理解するためにあえて小ない材料でつくります。

肉類を煮込む場合、一番むずかしいのは鶏肉です。その理由はコラーゲンが少ないため。簡単なのは反対にコラーゲンの多い豚や牛のバラ肉、頬肉など。コラーゲンは長時間煮ることによりゼラチン化します。そのため赤み部分がパサついてしまっても、食味の低下を補ってくれるのです。また、ゼラチンのなかに肉汁の一部がとどまるのでしっとりと感じられます。

まずは鶏肉の下処理です。鶏は定番の下処理、ブライニング(塩水漬け)にします。 塩水に漬けることで鶏のタンパク質の一つ、ミオシンを変性させ、しっとりとした食感に変え、さらに水分を含ませることができます。ちなみに赤身の肉にはブライニン グ処理は適切ではないので、行わないように。もしも鶏肉の臭みが気になるようなら、塩水ににんにくやレモン、ローリエ、タイム などを加えてください。5%の塩分濃度の液体ですので浸け時間は30分ほどです。

煮込み料理の場合、ブライニングのメリットはそれほど感じられないかもしれませんが、仕上がりの臭み消しには効果大。もしも、つけ込む時間がなければ薄く塩を振って次の工程に移りましょう。

肉をカットします。できるだけ大きな固まりのほうが水分の蒸発を防ぐことができるので、最低でも2.5cm角を守りましょう。水気を拭き取ったら、小麦粉(分量外)を薄くはたきます。小麦粉はソースのとろみ付けの材料にもなります。

表面を中火でこんがりと焼きましょう。メイラード反応により風味が増しますし、表 面の微生物を死滅させることができます。焼くことにより、水分が失われていきますが、事前にブライニングを施している分、 多少は火を通しすぎても大丈夫です。しかし、焼き付ける時間は短い方がベター。

同じ鍋で玉ねぎとベーコンを炒めます。古典的なレシピではベーコンではなくハムを 使っているものが多いです。玉ねぎに含まれる硫黄化合物にはいわゆる肉っぽい風味を増す効果があります。古典的な肉料理にタマネギが必ず入っていることにはちゃんと理由があるんですね。

厚手の鍋に移し、トマトペーストを加えます。トマトのグルタミン酸は肉のイノシン酸とあわせるとよりおいしく感じられます。いわゆる旨味の相乗効果です。

あればコニャック(ブランデー)を加えます。ブランデーは特に高級銘柄である必要はありませんが、特有の香りがソースに深みを与えてくれます。

白ワインを加えて、さらに煮立てます。お酒を加える度にきちんとアルコール分を煮詰めていくことも重要です。

ブイヨンを加えます。水ではいけないのでしょうか?  トマトペーストやコ ニャック、白ワインなどが入っているとはいえ、やはりブイヨンがベターです。それはブレゼのポイントが『風味のついた液体で肉を加熱する』ということだからです。

肉はたくさんの細胞が寄せ集まってできています。水で肉を煮込むと、細胞から液体 がしみだして、均一な濃度になろうとします。この現象を『浸透』と言います。あらかじめ濃い液体で煮ることで肉の内部の芳香性化合物は外に出ず、代わりに液体側の芳香性化合物 (香味野菜やワイン、コニャック)などは肉の内部に浸透します。これにより、肉の風味はただ水で煮込んだものとはまったく違うものになるのです。

焼いた肉を鍋に入れていよいよブレゼの工程にうつります。さて、この段階で液体の 温度は68度。

最初に柔らかく煮込んだ肉料理の失敗の例としてパサパサになってしまう、という例を挙げました。これにはタンパク質の変性温度が関係しています。肉のタンパク質 は50度~70度のあいだで変性し、65度くらいから水分が失われていきます。そのため加熱はこの温度帯を越さないようにしたいのですが、コラーゲンが多く含まれる硬い肉の場合はそうもいきません。コラーゲンがゼラチン化する温度は70度~80度と水分が失われる温度よりも高いからです。
これを解決するためには『コラーゲンがゼラチン化する温度か、それよりわずか に高い温度でゆっくりと調理すること』しかありません。

鍋に蓋を(すこしずらして)して、オーブンに入れます。はじめから煮込んでしまっ てもいいのですが、今回は二段階の加熱を行います。最初の段階の加熱温度は100度 にしました。

その理由は以下のとおりです。

お店の煮込み料理がおいしいのは一度にたくさんの量をつくるからです。『たくさん つくるからおいしい』というのはよく言われますが、何故たくさんつくったほうがお いしいのでしょう。鍋のなかでは実際、どんなことがおこっているのでしょうか?

たくさんの液体、たくさんの具材で調理をするとそれだけ加熱に時間がかかります。 それが結果として低温でじっくりと火を通すことに繋がり、肉が柔らかくジューシ ーに仕上がるのです。また、お店の煮込み料理ではオーブンを使うことが多く、それも低温でじっくりと火を通すことに貢献しています。

100度のオーブンに入れて30分経ちました。肉は温まっていますが、鍋のなかの 液体の温度は計ってみると60度。入れる前よりもむしろ下がっています。

鶏なので効果が実感できないかもしれませんが、肉類は一般的に50度以下の低温で加熱することで酵素による熟成が進みます。(低温長時間ローストと同じ原理です)この作業時間により、肉の結合組織を弱め、これから行うその後の加熱を短くすることができるのです。

温度を120度にあげて、ふたたび鍋をオーブンに入れました。いよいよ本煮込みで
す。

今回は小さな鍋で一人分の煮込み料理をつくっているため、慎重に加熱をしています
が、大きな鍋でたくさんの量を料理していればそれほど神経質になる必要はないかも
しれません。

ただ、通常のブレゼのレシピでは鍋の蓋をすることになっていますが、鍋の蓋はしないほうがいいでしょう。鍋に蓋をすると、なかの液体が沸騰してしまうからで す。打ち水をすると涼しくなるのと同じ原理ですが、蓋をしなければ蒸発による気化熱で液体は冷やされ、沸騰を避けることができます。低温で長時間料理したほうが美味しくなる原則にのっとり、蓋はせず、120度から130度くらいの低温のオーブンに入れましょう。

三十分経ちました。この時の液体の温度は85度。まずまずの温度帯です。肉はすっかり柔らかくなり、ナイフがすっと入るようになりました。このまま 蓋をして冷まします。肉の組織は冷めるとより多くの水分を含むようになるので、調理中に失った水分を再び吸収させることができます。

弱火にかけて温めてから、盛りつけました。仕上げに白胡椒を挽き、ハーブを添えています。ちなみに胡椒の風味は8分しか持たないので、煮込み料理の時は温めなおす過程で加えましょう。もしも、ソースにもっと強い風味が欲しければ肉をとり出してから煮詰めます。白ワインではなく、赤ワインを使えば『赤ワイン煮込み』になりますが、白ワインのほうが肉の味は活きる気がしますね。

前述したように他の肉でももちろんできますし、むしろ鶏肉でない方が簡単です。できあがった鶏 はしっとりとしていますが、ほろほろと柔らかいです。コラーゲンの多い硬い鶏(年老いた地鶏のような)を使った場合は後の加熱時間は15分から30分程長くなります。

ブレゼを完璧につくることができれば、あらゆる肉料理が上手にできるようになります。煮込み料理でもローストでも調理=時間×温度という原則は一緒。一つの料理をマスターすることで色んな料理ができるようになります。

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樋口直哉(TravelingFoodLab.)

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!

ありがとうございます。料理のリクエストがあればコメントに是非
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樋口直哉 作家・料理家 主な著作として小説『スープの国のお姫様』(小学館)ノンフィクション『おいしいものには理由がある』(角川書店)料理本『最高のおにぎりの作り方』(KADOKAWA)など。