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イノベーティブな歴史料理『偽ウミガメのスープ』

日経MJの記事

記事の内容をまとめると

全国で高級レストランが増えている
イノベーティブを掲げるレストランも増えた
カカクコムによると『1人1万5000円以上の店、5年で3割増』
富裕層に対応したレストランは日本にはまだまだ少ない(角川会長)

とのこと。記事の中でイノベーティブという言葉の定義がまったくされてなかったので、補足します。『イノベーティブ料理』というのはミシュランが2013年から言いはじめたジャンルで『国籍にとらわれずにシェフのオリジナリティを打ち出した革新的な料理』を彼らはイノベーティブと呼んでいます。はっきり言って料理のみで客単価1万5000円以上のイノベーティブ料理店に一般人が足を運ぶメリットはありません

誤解を招きそうなので、少し説明します。イノベーティブな料理を出す代表格は例えばスペインの三ツ星レストラン、エル・ブジでした。エル・ブジは80年代〜90年代まではフランスの有名シェフのコピー料理で星を獲得していましたが、90年代に入るとスペインの伝統料理を現代的に解釈した料理を。そして90年代後半から2000年代にかけては食品工業の世界から技法をとりいれた革新的な料理を発表して、世界の流行の中心になります。(色々あって店は閉店し、現在は廃墟になっていますが)

例えばフェラン・アドリアはジョエル・ロブションの『ジャガイモのピュレ』のレシピをコピーし、そこにエスプーマという機械でガスを注入することで『ジャガイモのエスプーマ』というレシピを発表しています。この料理を食べて驚ける人はロブションの『ジャガイモのピュレ』を食べたことがある人だけです。

味だけでいえばロブションのピュレの方がおいしいわけですが、既存の文脈に新しいテクニックをプラスした部分に新しさがあり、そこに人は驚くわけです。これが例えば客単価1万5000円以上のレストランに一般人が足を運ぶ必要がない理由です。イノベーティブ料理は元となる料理を知っていないと、楽しめない料理。イノベーティブ料理店は「料理店をたくさん訪れている人が楽しむための店」なのです。

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ヨーグルトのスフィアは以前、このnoteでも紹介しました。ヨーグルトが薄いゲルに包まれたカプセル料理です。インド料理のイノベーティブレストランであるガガンではスターターとして提供されていますが、これは食前に『ラッシー』を飲む習慣がインド料理にあるからで、それを知ってなければ味はただのヨーグルトなので「口に入れたら出てきた!」という生理的な驚きだけで終わってしまいます。(逆に知っていれば『なるほど』と楽しめるかもしれません)

イノベーティブな料理を生み出すためには既存の文脈=伝統を咀嚼している必要がありますが、なかなか理解されていないのが実情。アジアを代表するシェフのアンドレ・チャンは

「西洋料理をするアジアの人間にとって《本物である》ということを実現するには、 大きな困難が存在します。アジアのシェフは独創性を強調しながらも、時として創造的であることを怖れる傾向があります」

と言っていますが、アジア人が西洋の文脈であるイノベーティブ料理をつくるには大きなハードルがあります。本物とはなにか? という問いです。伝統から外れると本物ではない、ただの創作料理になってしまうからです。アンドレが提示する問いは「How to respect the tradition and be innovative the same time?(伝統を尊重 しながらも、同時にイノベーティブであるには、どうすればいいのか?)」というもの。

「私たちはよく、なにを料理するのか(what to cook)どのように料理をするのか (How to cook)について考えます。しかし、私がいつも考えるのは、なぜそれを料理するのか(Why to cook)ということです」

これがアンドレの言う答えです。どういうことかというと、例えば感謝祭の料理と聞かれて頭に浮かべるのはターキー。(what to cook)

次に考えることは、最高のターキーをどこから手に入れようか、それをどのように調理すべきか、ということ。(how to cook)

しかし、歴史を紐解いてみると、元々は感謝祭の日には鳩のパイが食べられていたことがわかります。(Why to cook)自分らしい鳩の料理を想像すれば提供、伝統を尊重しつつもイノベーティブな料理を提供できる、というわけです。これは一例で料理における創造のプロセスはいくつかあるので、ちょっと整理していきたい課題ですね。

歴史からインスパイヤされた料理「偽ウミガメのスープ」

歴史から新しい料理をクリエイトしているシェフの代表格はイギリスのヘストンブルメンタールでしょう。彼のラボには専門の編集者がいて、過去のレシピを整理しているそうですが、代表作の一つに『偽ウミガメのスープ』があります。

『偽ウミガメのスープ』は十八世紀半ばの料理。偽ウミガメの正体は子牛の頭や足。亀は当時、高価だったので、庶民は代わりに安い肉を使ってウミガメ風のスープを楽しんだというわけです。ちなみにルイスキャロルの小説『不思議の国のアリス』に出てくる胴体が亀で頭が牛の偽ウミガメというキャラクターはこのエピソードに由来しています。

文献上、残っている偽ウミガメのスープの作り方は基本的に子牛の頭や足でとったス ープに揚げた子牛の脳みそや魚や卵の団子、牡蠣やハーブなどを加えたもの。参考ま でに18世紀の料理ライター、ハナー・グラスが1784年に書いたレシピは

子牛の頭を掃除し、洗う。大鍋で茹で、皮と舌をはがす。クローブと玉ね ぎ、子牛の頭、舌、皮でスープをとる。ナツメグ、アンチョビ、みじんぎ りにしたハーブを加え、肉をとりだしてダイスにカットする。バターと小 麦粉でルーをつくり、スープを注いでとろみをつける。マディラ酒、胡 椒、塩、カイエンヌペッパーで味をつけ、ミートボール、卵のボール、レ モンジュースで味を調える。とろみが濃すぎる場合はスープで薄める

というものです。今回は偽ウミガメのスープを現代的に解釈して、作り直してみました。文明の利器である圧力鍋を投入して簡略化し、ルーでとろみをつける工程も省略。軽く仕上げています。

偽ウミガメのスープ(四人前)
玉ねぎ 200g(中1個)
にんじん 200g(中1本)
ニンニク 15g(3~4片)
スターアニス(八角) 1/4個
オリーブオイル 大さじ1
牛テール肉 350g
牛ひき肉(赤身) 500g
トマトペースト 30g
赤ワイン 200cc
水 1.2L
黒胡椒(ホール) 8粒
ナツメグ 少々
マッシュルーム 250g(2パック)
バター 15g
マディラ酒 150cc
塩 挽き胡椒 適量
浮き実:小さく切ったカブやニンジンなど
シェリー酒 適量

はじめに述べたように偽ウミガメのスープは「子牛の頭」を使いますが、日本では BSEの影響もあり、入手不可能です。そこでスープのベースには牛テールと牛挽肉を使います。テールは豊富なゼラチン分を含んでいるため子牛の頭の代わりに、挽肉にはスープの土台となる旨味を担当してもらいます。

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ミルポワ(香味野菜)には玉ねぎとにんじん、ニンニクを使います。玉ねぎはザク切 りにし、ニンジンは薄くスライス。ニンニクは皮ごと使います。

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圧力鍋にオリーブオイルを中火に熱し、香味野菜とスターアニスを炒めていきます。 玉ねぎがカラメリゼすることが重要なので、軽く焦げ色がつくまで7~8分ほど炒めます。スターアニスを入れるのはヘストン・ブルメンタールがよく使うテクニックで、アニトール(フェノール)という香味成分が飴色玉ねぎ の硫黄化合物と結びつき、肉の風味を強めてくれるから。(参考『heston blumenth al The appliance of science』the guardian)中国料理では古くから使われる組み合わせですが、八角が入っているとわからない程度の量使うことが重要です。

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中火に熱したフライパンでテール肉の表面を焼きます。テール肉には脂がついている ので、油を使わなくてもいいでしょう。全体にこんがりと焦げ色がついたら、圧力鍋 にうつします。

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牛脂が残ったフライパンで引き続き、挽肉とトマトペーストを焼いていきます。動かさず均一に焼き色をつけることが重要です。

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しっかりとした焼き色がつきました。脂を切りながら、圧力鍋にうつします。

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フライパンに赤ワインを注ぎ、木べらで底を洗いながら沸かします。鍋底の旨味を溶かした赤ワインを圧力鍋に注ぎ、さらに分量の水を加えて、火にかけます。

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十八世紀に書かれた『偽ウミガメのスープ』のレシピには仕上げにマッシュルームケチャップを加えるのが定番。マッシュルームケチャップとはマッシュル ームを塩漬けにした後、濾した汁にビネガー、砂糖などを加えて煮詰めた調味料のこと。一からマッシュルームケチャップを作るのは大変なので、ここではマッシュルームを入れることで代用しています。ちなみにヘストン・ブルメンタールの作り方は別にマッシュルームストックを作って、後から混ぜています。(仕上がりを安定させるためでしょう)

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四つに割ったマッシュルームを15gのバターで加熱していきます。火加減は中火で す。マッシュルームから水分が出るので加熱し、味を濃縮していきます。

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写真のように焦げ色がつき、味が濃縮されたところでマディラ酒を加え、さらに煮詰めていきます。ちなみにヘストンブルメンタールはマッシュルームストックには 十年以上熟成させたのマディラ酒を使うことを薦めていますが、このあたりは予算が許せば、 といったところ。

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圧力鍋にうつします。

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黒胡椒と少々のナツメグを加えて、圧力をかけます。蒸気が出てきたら弱火に落と し、2時間加熱します。圧力鍋を使うメリットは120°C~124°Cで加熱できること。高温で加熱することで挽肉やテールの筋繊維が収縮し、旨味成分を完全に抽出することができます。また、圧力がかかっている状態では液体の対流がほとんど起きないため、乳化が進まないのも利点。圧力鍋を使うことでコンソメのような澄んだ色が出せるのです。

2時間経ったら、火を止めてそのまま自然に冷まします。

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その状態がこちら。このままザルで濾し、中身と液体を分け、とりだしたテール肉は 角切りにして浮き実に使います。濾したスープはあら熱がとれたら冷蔵庫で一晩冷やします。

一晩経つと表面に脂が固まるので除去します。昔はスープの表面に浮く脂は都度、丁寧に取りのぞけ、と言われたものですが、このように脂を冷やして固めて一気に除去したほうが効率的ですし、この方法には表面の脂により鍋肌からメイラード反応がゆっくりと進み(油脂分はメイラード反応の触媒として作用する)スープの風味がよくなるというメリットもあります。

ジョエル・ロブションもストックの脂分をとる場合にはこのように冷やしてから一気に取りのぞく方法をとっていました。脂分を除去したスープは鍋で温め、塩、胡椒で調味します。このとき、塩は控えめにするのが味付けのコツです。

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角切りにしたテール肉と別に茹でた野菜、トリュフを浮き身にしました。コンソメのように卵白を使って完璧に澄ませたわけではありませんが、それでも充分な琥珀色です。最後にシェリー酒を加えて香り付けするとより本家偽ウミガメのスープの味に近づけるでしょう。

ちなみにこのレシピ、もともとは『スープの国のお姫様』という小説のために書いたものです。

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漫画家の浅野いにおさんのイラストがかわいい感じの装丁ですが、内容は硬派な(?)料理小説になっています。ご興味があればぜひ。

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!