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アメリカ産牛肉のステーキ

ステーキの焼き方には人それぞれ。一般的に知られているステーキの焼き方は『フライパンを中火に熱し、ステーキ肉を入れる。焦げ目がついたら裏返し、火を弱火に落として好みの加減まで火を通す。肉を裏返すのは一度きりにする』というもの。最近では科学的な焼き方として『低温調理』が紹介される機会が増えました。低温調理はたしかに優れた調理法ですが、本当に〈科学的〉に正しいステーキの焼き方なのでしょうか?

今日はアメリカ産のステーキ肉を焼いていきます。この焼き方はハロルドマギーのメソッドをベースにイギリスのシェフ、ヘストン・ブルメンタールが発表しているもので1.5cm〜2.5cmくらいまでの輸入肉に対応した焼き方です。

写真は西友で購入したステーキ用として販売されているアメリカ産アンガスビーフの肩ロースです。肩ロースは安価な部位ですが硬めで筋が多いのでステーキに向いている部位かと言われると・・・・・・ですが、動く部位なので単純な旨味だけならサーロインより豊富。日本では薄切りにすることが多い部位です。(安価なすき焼きやしゃぶしゃぶを提供する店の肉は肩ロースが多いです)

分子料理に精通したイギリスのシェフ、ヘストン・ブルメンタールが推奨しているのは簡易的なエイジング処理です。まずお肉を買ってきたらパックを開封し、網に乗せて冷蔵庫で一日、あるいは二日間置き、肉の表面の水分を飛ばします。

写真は一日半経った状態。色が濃くなったのは酸素に触れ、ミオグロビンがメトミオグロビンに変化したから。この簡易的なエイジング処理はいわゆる専門店が行うような熟成処理とは異なり、肉の水分を飛ばすことが第一の目的です。和牛などは水分量が元々少ないので、そのまま焼くことができますが、アメリカ産やオーストラリア産の牛肉はあらかじめ水分を減らしておいたほうが焦げ目がつきやすく、味も凝縮し、肉も軟らかくなります。

冷蔵庫から出したての肉は冷たい状態。1時間放置して室温に戻します。

30分後の温度です。ところで室温とは一体、何度を指すのでしょうか? 暖房をかけた室内の温度は20℃以上でしょうし、冬場の朝などは10℃くらいの部屋だってあるかもしれません。正確な定義のない言葉に思えますが、ワインの世界で室温と表記すればヨーロッパでの室温18℃を指します。室温とは18℃くらいと理解しましょう。

一時間経ちました。肉の表面温度は16℃。18℃には達していませんが、これくらいなら焼きはじめても大丈夫。ハロルド・マギーは『マギーキッチンサイエンス』のなかでビニール袋に肉を入れ、40℃くらいの湯に30分沈める方法を推奨しています。急ぐ場合には便利な方法です。

焼く直前に塩を振ります。コショウは焦げるだけなので振りません。塩は肉の水分を引き出すので振ってはいけないという人がいますが、塩を振ってすぐに焼いた肉と、塩なしの肉を同時に焼く、という比較実験をすると焼き上がりの肉の重さに大きな差がないことがわかります。逆にいえばあとから塩を振ってもかまわないのですが、ここで振っておくことで塩が浸透し、よりジューシーに感じさせることができます。

ここでジューシーという主観的な知覚を理解しておきましょう。ハロルド・マギーは〈ジューシー〉という感覚は二つの段階からなる、としています。まず最初に感じるのは〈食べものを口にした瞬間に感じる水分〉。これは肉に含まれる自由水に起因するもので、次に感じるジューシーさは〈肉の脂肪と風味が唾液の分泌を刺激すること〉によって生じます。焼くほどに肉汁が流れ出てしまうのによく焼いた肉がジューシーに感じられるのはそのため。ローストビーフよりも焼肉のほうがジューシーに感じるのは肉の褐変反応=メイラード反応が唾液の分泌を刺激するからです。

そこで充分な焼き色をつけたいところですが、逆に肉の内部は肉汁(自由水)を多く含んだ状態で焼き上げるため、必要以上に火を通したくはありません。表面は早く水分を飛ばしメイラード反応を進め、中は水分を残したい──この矛盾した状況を解決するには肉に早く火を通すことです。また、肉汁が流出する原因になるだけなので、肉に切れ目などを入れてはいけません。

肉汁が流れ出てしまうよりも先に出てくる肉汁の水分を蒸発させるため、フライパンは充分に熱くしておきます。表面の水分を飛ばしておいたことがこの工程で生きてきます。

フライパン(できれば鉄製の厚いもの、写真のように普通のテフロン加工でも可能ですがフライパンが傷みます)を強火で一分間、予熱してから、精製された植物油(いわゆるサラダ油)を大さじ2ほど注ぎます。油の量は少し多め。煙が立つので換気扇は全開にしてください。

肉を投入するときは油がはねて火傷しないように注意。油から煙が立っているということは油の温度はおおよそ232℃以上(油の種類によって異なりますが)です。

20秒経ったら裏返します。そして、また二十秒焼いて・・・・・・

裏返します。熱源が電磁調理器(IH)なら強火のまま、ガス火の場合は中火に落として、二十秒ごとにさらに裏返していきます。多くの料理本には「肉を裏返すのは一度だけ」と書いてありますが、そこに科学的な根拠はありません。赤外線温度計を当ててみるとわかりますが、肉のフライパンに設置していない部分の温度はどんどん下がっていきます。肉を頻繁に裏返すことで効率よく=水分が蒸発する暇を与えずに火を通せるのです。

ハロルドマギーは〈きれいな焼き目を優先させたい場合は一回か二回裏返し〉〈軟らかさとジューシーさを優先するならば〉頻繁に返すことを勧めています。この頻繁に裏返すという調理法は論議を呼ぶらしくアメリカのWebサイト『Serious Eats』が「Flip Your Steaks Multiple Times for Better Results」(肉を何度もひっくり返すのはベターな結果をもたらすのか)という記事で検証を行っています。


ハロルドマギーが指摘するとおり、何度も裏返したステーキは一度だけの ものに比べて、30%ほど早く火が通るようだ。繰り返し裏返すことで、 表面が冷めることなく、常に熱にさらされているからである。

というわけで結果はもちろんbetterのようです。同サイトの写真を確認すると同じ中心温度で比較しても何度も裏返した肉のほうが均一で、ジューシーに仕上がっています。

トータルの加熱時間はこのくらいの厚さなら2分間が目安。肉が厚いようなら3分間かかるかもしれません。

2分間経ちました。時間はあくまで目安です。

肉はケーキラックのような網の上で4分間〜6分間(肉を焼くのにかかった時間の倍の時間)休ませます。肉が冷めてしまうのではと思われるかもしれませんが、表面温度は数度下がるだけなので心配はご無用。肉が蒸れてしまい香ばしさが損なわれてしまうのでアルミホイルはかけません。(肉がもっと分厚く表面のテクスチャーを求めていない場合はアルミホイルで包むのも有効な調理法です)

時間はあくまで目安なので、デジタル温度計を使って中心温度を計ります。56℃でミディアムレア、58℃でミディアム、60℃でウェルダンですが、予熱で2℃〜3℃ほど上がるので早めに上げて計ってみるのが安全。温度がもし低ければまたフライパンに戻して二十秒ずつ焼きます。温度計がなければ一部を切りとってみるのが簡単です。切ることで肉汁は流出しますが、それは一部。全体には影響しません。

肉の線維に対して垂直方向に切るのも軟らかく食べるポイント。コショウはこの段階で振ります。

中心温度56℃だと断面はこんな感じ。この調理法は肉をかなりの高温にさらしますのでもちろん上手に調理するためには慣れが必要です。また、熟成肉にも向いている焼き方ですが和牛には別のアプローチが必要になるか、と思います。

中心温度56℃(別に54℃でも58℃でもいいのですが)を目指す点は低温調理と同じですが、表面の香ばしさを実現しようとするとやはり最後は高温で加熱しなければいけません。しかも低温調理の場合は肉の内側にすでに火は入っていますので、その点を考慮したアプローチが必要になってきます。つまり、すべての調理法は一長一短。低温調理は失敗が少ないというメリットがありますが、時間がかかるというデメリットがあります。唯一の正解という調理法は存在しないのです。

また、肉は焼いているうちにどこがが凹んで平らではなくなるので、その部分の焦げ目が薄くなる傾向があります。それを防ぐには油の量を増やせばいいのですが、そんな揚げ焼きの状態で肉の表面にがっちりとした焦げ目をつけていく手法はパリの有名な熟成肉レストラン「ル・セヴェロ」から広まりました。同店ではひっくりかえすだけではなく、油を上からかけて上下から加熱しているようですが、この油をかけるアロゼという技法はよく「乾燥を防ぐため」という説明がなされます。アロゼは乾燥を防ぐのでしょうか? 実際は熱い油をかければ逆に乾燥が進むはずで、本当の目的は肉に効率よく火を通すためではないでしょうか。

香ばしい表面と水分を含んだ内部の両方を目指すという目的はこの調理法と理屈としては同じです。ステーキはなかなか奥が深く、色々な焼き方があって面白いですね。

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!