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結婚式に不参加すると決めたこと。

弟の結婚式、この秋に開催される。

披露宴は来年3月。

さんざん悩んだんだけど、

コロナのことがあるのに、

関東に住んでいる私が福岡に行くことがどうしても気になって

結婚式だけ不参加することにしたの。

(来年披露宴に行けるから、それでいいかなという気持ちもあった)。


だけどね、

驚くほどにそれに対する家族の反応がすごかった。

「どれだけ弟が悲しいか、参加してあげて」という母の声や、

「なんで来れないの?クラスターが起こる可能性なんてすごく低いのに。」という弟の声。

そういう意見を聞いて、初めて思った。

あ、私関東に来て、こういう「意見」を真正面から受けたことってなかった、っていうことを。

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関東に来たのは5年前くらい。

関東に来てから、人の行動・考えに対して、

「あなたがそう決めたのならそれでいいんじゃない」というスタンスの人が多いなと思っていた。

少なくとも私の周りは。

夫もまさにそのタイプ。

職場でも、さんざん旅行に行ってお金を使いまくっている私を見ても、面白がって見てくれる人が多かった。

けど、福岡にいる時は、これって結構違っていたなってこと思い出したんだよね。


「結婚したんだから、一人旅なんてしたら浮気されるよ。旅行は控えるべき。」

「いつまでも二人で遊んでいないで、子供を持つべき」

「30歳までには結婚しなきゃ行き遅れるよ」

そういう声を友達・家族・職場の人からよく聞いてたんだ。


私、こういう声を放っておけなくてかなり悩んだな。

私が間違っているんじゃないかって。

とくに亭主関白な父と対立する私に対して母が、

「お願い。悪くないけど、あなたが謝って。そしたらすべてうまくいくから」

って言われたこともあって。なんども心に蓋をして謝ったこともあった。


だけどね、こっちにきてからそういうことを言う人がいなくなっちゃって。

「自分で自分のことを決められること。

それに対して人からとやかく言われないこと。」

この自由さ、気持ちよさにハマってしまって、

「私が我慢して、心を折ってここは従おう」とかそういうことできなくなっちゃったんだ。

つまり耐性がなくなっちゃったんだよね。

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今回のこともそう。

家族からの総非難に一瞬、ひるんだ。

だけど、

こんな状況で、

「コロナをうつすかもしれない」「職場にばれたら何か言われるかも」「ニュースに書かれたら」「奥さんの親族に「あの人関東から来た」とか嫌がられたら」‥とか。不安な気持ちで参加するのが自分にとって嫌だった。

結婚式なのに、「怖いな。」と思いながら帰るのが嫌だった。

だから、心を鬼にして断った。


この行動していてね、私変わったなあと思ったの。

昔の私なら、間違いなく「弟や親が悲しがっているから」参加してたな。

どちらが正しいかなんて、結局ない。

ただ、自分の決断には責任を持つ。

そういう気持ちができたことってすごく大きいなって。


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