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愛について語ってみる


あけましておめでとうございます。
去年で旅欲が少し落ちついてお金を少し貯めて旅行に行こうかなという気になり少し休憩期間。

仕事をしながらのんびり過ごしてるんだけど最近お客様と恋愛について話す機会が多いので少し愛について語ってみる。

愛というものを構築する相手は概ねの場合他人だと思う。自分を愛することはとても大事だけど、自分を愛さなければならないと思わせてくれるのは他人で、自分を愛してて良かったと思わせてくれるのも、自分は幸せになるべきだと思う瞬間も、他人が関与してる機会が多い。愛というものは比べるものではないかもしれないけど、比べる対象があって初めてそれに気がつくのかもしれない。

その上で誰かと愛を構築する時、どういう形が愛なのかは人それぞれ違う。

ただ純粋にそばにいたいことを愛ということもあれば、その人を独占したい気持ちが愛だと思う人もいる。相手の幸せを祈れるのが愛だと思うことや、相手を幸せにしたいと自分が思えるのが愛なのかもしれない。いろんな形があっていいと思う。そう思うとわたしは、自分が納得できるのが愛なのかなと思う。

この人に何かをしてあげたいと思ったり、この人に幸せになって欲しいと思ったり、はたまたこの人の視界に入りたいと思ったり、愛に付随する感情を誰かに思った時点で愛なんだろうな、と思う。

でも愛情は他人がいないと感じれないものだから、見返りを求めない愛だけは確かなものだと思えなかったりもする。

わたしはお客様のことが大好きで、大切で、心から幸せになって欲しいと思ってる。大切にされてると嬉しいし、誰かを大切にしてると嬉しい。その感情に対して、これが愛だと確信もできる。それでもわたしとお客様の間には、まず自分を選んでくれているという事実があって、その上で料金が発生しているという関係性が生じてる。もちろん大切にしたいと思える人柄のお客様であるということも間違いないけど、スタートの時点で見返りが発生してる。

アイドルや俳優の推し活は、そもそも費やした分ほど活動で返してくれるから見返りが発生してる。プロという活動での見返りを求めているからこそ熱愛でショックを受けるファンがいる。

無償の愛と言われてる親の愛でさえ見返りはある。特別な事情がない限り、どんな親でも子供は親を求める。人から求められる自分が存在できるというのは、人によっては生きる理由になるほどのとてつもない見返りなのではないかな。

友達に求める見返りは楽しい時間を共有してくれること。親しさによってはどこまで何をしてあげたいか、はたまたして欲しいか変わってくるかもしれない。親友なら相手が困ったとき、いつでも飛んでそばにいることはできるけど、知り合いレベルなら多分日常を切って時間を作ることはできない。お互いのバランスが適切であればあるほど、交友関係の深さに問わず長く友人でいれるのかもしれない。逆にどちらかばかりに負担をかかってると環境のバランスが崩れた時に疎遠になる。

今大事にしたいと思える友達はきっと、大事にしてくれるんじゃないかな。大事にしてくれる友達が多ければ多いほど、自分は大事にされる価値のある人間なんだと自分を愛することができて、自分を雑に扱う人を許さない自分になれる。

恋愛の愛のかたちは、いちばん人が盲目になって、いちばん見返りを求めないほどに尽くし、それでもいちばん見返りが欲しくて焦がれる。大切にされた恋愛は自分を丸ごと愛せ、そうじゃない恋愛は自分を丸ごと嫌いになる、そんな人生を左右すると言っても過言ではないもの。

わたしはどちらの恋愛も経験するべきだと思う。大切にされなかった恋愛は傷付いた分誰かを大切にすると誓うだろうし、大切にされた恋愛は自分ごと成長できる。それでもわたしは恋愛こそ、見返りが必要なんじゃないかなと思う。

誰かを恋愛的に好きになるということはとても凄いことで、相手のためになんでもしてあげたくなる。そう思うあなたも、そう思わせた相手もすごく魅力的だと思う。それでもその関係に見返りを求めなくなるとそれは愛ではなく自己満足になる。

自己満足は"自己"と言う言葉が入っている通り、自分が満足するために行動すること。
でも恋愛というものはひとりでするものではないから"対話"であると思う。

自己と対話はかけ離れたところにある。愛が自己満足になった瞬間、それは2人で恋愛してるのではなくひとりで恋愛してることになる。最初から2人で恋愛をしてるわけではない片思いからスタートしたとしても、自己満足の愛の押し付けは相手との対話の放棄であり関係性を構築するつもりがない。相手の好みや意見、そんなものを知って自分のことを知ってもらって、お互いを魅力的にしていく努力をしなければならないと思う。

逆に与えた分やそれ以上の見返りを求めるのもまた愛ではなく自己満足ではないのかと思う。自分はこれだけのことをしてあげているのに、相手はそれ相応のことをしてくれないと思ってしまう。そう思ってしまった時点で2人で恋愛をしてることにはならない。そこには対話が産まれてはいない。

わたしは常々、交友関係は積み木のように重なっていくけれど、対人関係はジェンガみたいだなって思う。関係性を積み重ねていくためにはきっと完璧なままでは無理で、大切にしないとすぐに崩れてしまう。最初は勢いよく押し引きができても、積み上がれば積み上がるほど慎重に引いて、慎重に置く。
友人も恋人も、時には共に過ごし生きてきた家族でさえそうだなって感じる。崩れたジェンガのゲームは、ひとりではリスタートすることはできない。もう一度ゲームをスタートするには相手が必要で、そして完璧なままでは相手との関係が積み上がることはない。でも間違ったものを引いてしまうと、そこで終わり。だから慎重に引かなければならない。大切にしなければならない。

毎日たくさんのお客様と話してて、ひとりで生きるわけじゃないから難しいなって思う。それでも傷付いたり傷付けたりして、自分の大切なお客様や自分の大切な人たちが優しい愛を構築できる人だととても嬉しいなって思う。そうやって人は誰かと生きていくんだろうな。

誰かを愛せる自分であることを誇って、今自分の周りにいる人たちを大事にして積み上げていきたい。






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