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知床旅行記

 知床という地名はアイヌ語の「シリ・エトク」(突き出た所)に由来する。「地の果て」という意味だという説もある。道中私の実感としては後者の方がふさわしく感じた。

 網走より、更に東の果てへ。知床半島は北海道の東端にあたる。電車でうたた寝をしてしまい、ふと目を覚ますと窓には海。遮るものはなく、一面に地平線が広がっていた。乗り過ごしたかと一瞬慌てたが、幸い知床斜里駅はまだ先だった。乗り過ごせば戻れる保証はない。
 地方を旅行すれば、車窓から海が見えることは間々あるのだが、面白いことにどれ一つとして同じ印象を残すものはない。私が旅に陸路、とりわけ新幹線より在来線を好む理由も道中の景色にある。
 例えば以前行った小樽の海は、透き通っていてエメラルドのような煌めきを放っていた。一方、この日電車で見た海にはそのような華やかさはない。ただ海原が広がり、船はない。静かで雄大な、自分がちっぽけに見える海。改めて、随分遠くまで来てしまったことを知る。


 知床斜里駅からは美しい形をした山が見える。斜里岳というらしい。均整のとれた稜線で、夕焼けの空に映える姿だった。駅舎は最近造られたのか小綺麗な木目の造りになっていた。
 夕方になり肌寒くなってきたので、セーターを着込んだ。駅前のセイコーマートでホットスナックのチキンを買って、散策しながらバスを待った。
 バスに乗ってからの道中はまた海が見えた。白い波が岸辺にたどり着いては消えていく。日が沈み空が暗くなるのを感じながら、再び微睡んでは時々景色を眺めた。

 翌日は知床五湖へ向かったが、問題が起きた。熊が出没したために午前中は入場できないという。変わりに原生林へ案内してくれるというので行ってみた。入る前にガイドの方が、知床の歴史について話してくれた。
 知床も開拓された時代があり、酪農や農作物の栽培のため森林の一部が伐採され平地になっている。都合上外来種の植物が持ち込まれ、それが今なお在来種の生育を阻害してしまっているらしい。平地に前と同じ植物を植えれば元通り、というわけにはいかないようだ。
 今は鹿が増えたことで保護している植物が食い荒らされており、一部の個体を駆除することで生息数を調整している。一度失われた生物の多様性を守るということは、やはり一筋縄ではいかないようだ。
 幸い、ヒグマに遭遇することはなかったが、シマリスやエゾシカを見ることができた。姿は見えなかったが、ガイドさんの解説によりキツツキのドラミングや野鳥の鳴き声、動物の通った痕跡に触れることができた。東京の整備された土地で暮らしていると触れることのない空気が流れていた。

 アイヌの民は、動物を神が姿を変えたものとして崇拝していた。神が人へ肉や毛皮を与えるために動物の姿となり、地上へ現れるという。
 北海道は寒い分、動物の体も大きくなる(ベルクマンの法則というらしい)。網走でたまたまエゾリスを見たが、動物園で見るような可愛らしさはなかった。ずんぐりとした塊が樹の上を駆けていて、それがリスとわかるまでぎょっとしていたものだ。ヒグマの大きさも本州より一回り大きく、原生林でも遭遇の不安があった。
 行った際はある程度土地も開けており、ガイドさんもついていた。しかしアイヌが村をつくって暮らしていた時代に、この原生林のような場所に囲まれて生活していたら、やはり自然に対する畏怖を感じるだろう。動物から食糧や毛皮をいただくためには、命懸けで狩らなければならない。木の実や草を採集していてヒグマに遭遇することもあっただろう。生活に自然の脅威はつきまとう。
 そういった生きることに対する不安を和らげ、時には人々に寄り添い時には人々の背中を押すためにつくられた物語がカムイ、イオマンテを始めとするアニミズム的な宗教なのだろう。神々も個性豊かで、動物に対するイメージも現代の一般的なものと異なる文脈を持つことがわかる。

 物語、文学という文化は唯物的に見れば生活に不要なものである。しかし、それがなかったら果たして同じように暮らせるだろうか?
 時代に関わらず、生きていく上で不安や孤独には直面する。今であれば感染症や経済的な不安、新しい生活様式と呼ばれる変化への戸惑いが多いだろうか。物質でその全ての感情を一掃することはできないだろう。それらを受け止めて生きるため、精神的なバックグラウンドとしてこういった物語があると私は考える。
 コロナによるステイホームが叫ばれた時、書店には長蛇の列ができ、レンタルビデオ店の棚はガラガラになったらしい。単に暇潰しという面もあるだろうが、先行きが全く読めない不安や家に籠ることで深まる孤独感を埋めるために、人は物語を欲したのではないだろうか。
 今、人々に必要な物語はどんなものだろう。

 ホテルに戻り、知人や祖母にハガキを書いて出した。知床斜里にある道の駅で土産を見ると、鹿や熊肉の缶詰が売っていた。熊の肉。味の予想が全くつかない。美味しいのだろうか。迷った挙げ句に買ってしまった。おやつとして生キャラメルとお茶も買い、釧路行きの釧網線に乗り込んだ。

おまけ【知床アクセス情報】
・知床斜里駅→釧路駅、4時間かかります。本数も1日5本。尻が痛くなるのでおすすめしません。
・知床斜里駅、ウトロ温泉から知床五湖へは斜里バスで行けます。ウトロ港からはクルーズが出ていて、知床半島を海からじっくり見られるみたいです。
・ホテルは知床斜里駅、ウトロ温泉周辺にあります。知床斜里駅⇔ウトロ温泉は斜里バスで1時間弱。
・今回はGoToトラベルの力を借りてウトロ温泉にあるちょっと高めの宿、北こぶし知床に宿泊。最上階で入る温泉もビュッフェ形式の食事も最高でした。友人いわく「1人で行くところじゃない」とのこと。うるせえ。

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