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ワーホリ途中帰国の決断



ワーホリへの挑戦と決意

私は、勤めていた会社を辞めてオーストラリアのパースへワーホリに行く決断をした。その時の私は、仕事へのやりがいを感じられないことや私生活の不満足さから日常が億劫に感じていた。
「何かを変えたい」「変えなくてはならない」そんな風に思っていた。
コロナ渦で行けずにいたワーホリに挑戦するなら今しかない。そう思ってワーホリに挑戦する決断をした。
渡航が決まってからは、毎日英語の勉強をしてワーホリの準備に備えた。
やっと止まっていた時間が動き出すんだとワクワクしていた。

オーストラリア人男性との出会い

海外に行けば、自由に自分らしく暮らせるんじゃないか?と理想だけを並べてオーストラリアに旅立った。学校が始まって2週間くらいたったときに、オーストラリア人の男性と出会った。彼は、ジャーナリストで毎日のように西オーストラリアを旅をしながら取材や写真を撮る生活を送っていた。
自分の仕事に誇りをもち、自国を愛している想いが話をしていても伝わってきた。仕事も私生活も自由に謳歌している彼を見て、私は私自身と向き合う時間が増えた。「海外にいけば自由に暮らせる」そんな幻想にすぎたことを考えていた自分の考えの甘さを身をもって痛感した。
自由とは、簡単に手に入るものではなく、自分自身で築き上げていくものなんだと彼と出会って気づくことができた。

理想と現実のギャップ

理想だけを並べることなんて簡単なことだ。
ワーホリ生活では、ローカルのカフェやベーカリーで働きながら英語力の上達を目標としていた。運がよく到着して1ヵ月程でローカルのベーカリーでの仕事が決まった。しかし、シフトは週に2回はいれればいいといった状況だった。
オーストラリアは日本と違って物価が高い。私の給料は家賃と生活費でなくなっていった。貯金の残高が少なくなっていくのをみるたびに、現実を思い知らされた。出稼ぎでオーストラリアにワーホリに来る人が増えているとよく耳にするが、現実そんなに甘くはない。
ローカルの仕事は、現地のネイティブや他の国の移民の人達との戦いとなるため競争率が本当に高い。100件近くメールやレジュメを送っても帰ってくるのは1~2件だ。そんなことを繰り返しているうちに、自尊心は崩れ、なぜ私はここにいるのだろうと思う日々が増えた。
私は今年で26歳になる。10代、20代前半のときのように何も気にせずに挑戦できるかといったら無理な話だ。ある程度現実と向き合わなくてはならないし、できることも限られてくる。夢見見心地な気分で、海外で生活することはできないと判断した。
こんなこと日本にいるときに考えられたことだったと思うかもしれないが、
海外にきて初めて気づくことができた。

帰国を決意

ワーホリを途中帰国することを決意した。
「挑戦できなくなった」というわけではなく、現実をしっかり見ることができたから前に進めたのだ。これもワーホリに挑戦しなければ分からなかったことである。現実としっかり向き合わせてくれた海外生活。これからは、自分ができることを1つずつクリアにしていき、自分自身で自分の人生を築き上げていきたい。




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