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『悪魔の声・資本主義の声』

世界一周をはじめて、ちょうど1ヶ月が経った。
ベトナム→カンボジア→タイ(現在)と来ているが、だいたいベトナムが14日、カンボジアが6日、タイが10日目といった感じだ。
ベトナムとカンボジアでは2都市行ったが、タイは首都バンコクだけで10日はいる。

つまり僕はバンコクでゆったりと過ごしているわけだ。
さらに先日、ベンシャビキ公園という都会のオアシスを見つけた。
池や沼、ほどよい森に囲われたオアシス、そこにある空中遊歩道(それほど高くない)を散歩する。
実にゆっくり、のんびりした時間を楽しめる。

しかし、そんな時間は長く続かない。
なぜなら、すぐに頭の中で
「世界一周という貴重な機会に、何をのんびりこいてんだお前は?」
「世界一周の様子を見せるリールを作らないといけないだろ?」
「本業の出版の仕事をしなくていいのか?」
という『悪魔の声』が響くからだ。

この『悪魔の声』は『資本主義の声』とも言える。
自由経済の中では、努力をして成功したものがお金を得られ、結果的に幸せになれる。

「お金があれば幸せ」というのは、ある程度正しいらしい。
「年収800万円以上からは幸せの度合いは変わらない」というのは、よく聞く話だ(もちろん生活水準や家族の有無などで必要な金額は変わるだろうが)。
つまり年収800万円までは「お金と幸せは比例する」、お金があればあるほど幸せを感じられるわけだ。

僕の頭の中にも、この方程式がくっきりと刻まれている。
「お金と幸せは比例するから、幸せになるためにもっと努力しろよ」と常に悪魔がささやく。
のんびりしていると「余裕かましてないで、何か有意義なことをしろよ!」と悪魔が怒り出す。

皆さんも経験があるのではないだろうか?
予定のない休日、急きょ誰かを誘ったり、どこかに行く予定をたてたりして、「有意義な休日」を無理やりこしらえる。
本当は「1人でゆっくり休みたいなぁ」と思っているけど、「せっかくの休日を無駄にするな!」という焦りや不安が勝ってしまう。

しかし、ゆっくり・のんびりする時間も取られない(正確には、取られるが罪悪感が残る)のは悲しいではないか。
ずっと幸せに向かって一直線に走り続ける必要はないし、たまには休みたい。
それに幸せにそこまで急かされては本末転倒、まるで幸せという届かない人参に向かって走り続ける馬だ。

『悪魔の声』と書いたから、さも極悪な存在かのように思えるが、完全悪というわけではない。
焦りの気持ちが高まれば、重い腰も上がり、行動を起こせる。

大切なことは、『悪魔の声』に適度に耳を傾け、適度に無視をすること。
良いことを言ったつもりで気持ちよくなっているが、よく考えれば世界一周して遊んでいる奴が言っているから、説得力が皆無だ。

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