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スマホを持たない大学時代の私は、有り余る空き時間に一体何をしていたのか

先日、用があって都心の方へ出かけた帰り、スマートフォンの充電が残り少なくなってしまった。
モバイルSuicaなので、充電が切れてしまうと改札から出られなくなる。モバイルバッテリーも持ち合わせていない。
残量20%以下を示す赤マークを見ながら、ちょっと焦った。無事に最寄駅の改札を出るまで、極力スマホを使わないようにしなければ。

最寄駅までは、乗り換えなども含めて1時間くらいの道のりだった。
そこまで混んではいないが座れはしない、程度の乗車率の日比谷線で、私は扉付近に寄りかかり電車が動き出すのを待った。

そして思った。やることがない。
今日は文庫本も持っておらず、スマホが使えないので音楽も聴けない。何か読むものは入っていないかとバッグの中を探したが、本当に何もない。駅でフリーペーパーでももらっておけばよかった。

諦めて、ぼんやりと電車の揺れに身を任せる。
地下鉄なので景色も見られない。
暇だ。何もやることがない。

やることがないと言っても、とりあえずは「電車に乗って帰宅する」という最大の目的は進行中なのだから、別に何もせずにただぼーっと到着を待っていれば良いのだ。

しかし、なんだか落ちつかない。ひどく時間を無駄にしているような気がする。

ふと顔を上げて車内を見渡すと、本当にみんなスマートフォンを触っているのだなということに改めて気づく。 

よく言われることだろうけれど、スマートフォンの普及は、私たちから「何もすることがない空き時間」を根こそぎ奪った。
電車の中、横断歩道の待ち時間、ちょっと長めのエスカレーターに乗っている間。
ほんのわずかな空き時間でも、さっとスマートフォンを取り出してLINEを返す。SNSを見る。下手したら眠る直前までスマートフォンを手にしている。

そして思う。
スマートフォンを手にする前、私は空き時間に何をして過ごしていたんだっけ?

私は平成元年(1989年)生まれなので、子どもの頃から当たり前にスマホがありました、という世代ではない。

実際、初めてスマホを持ったのは大学4年の頃だ。
あくまで私の体感だけれど、当時はiPhone4(白)の登場により、一気にスマホが一般層にも広まりを見せていた。それまでは、一部のガジェット好きが持つものという認識だったと思う。

とはいえ、ガラケーとスマホの所有率はまだ半々くらいで、役所の内定者研修会では同期たちと赤外線通信で連絡先を交換していた記憶がある。今では考えられないだろう。

話が逸れたが、つまり私は大学1年から3年までの丸3年間は、ごく当たり前にスマホなしで生活をしていたわけである。
当時、郊外にある実家から都心の大学に通っていたので、通学には片道1時間半ほどかかった。また、大学は高校までと違って、1人行動が完全に市民権を得ている。講義の空いた時間は1人で過ごしたり、昼ごはんを1人で食べたりがごく当たり前になる(最高である)。
スマホを持たない当時の私は、この有り余る空き時間に一体何をしていたのか。

1.本を読む
最もメジャーなところである。
カバンには常に文庫本を入れていた気がするが、国文学専攻だったわりに、当時そこまで大量の本を読んだという記憶はない。同じ本を何度も繰り返し読むタイプだった気がする。村上春樹や穂村弘が好きになったのも大学時代から。

2.フリーペーパーやタウンワークを読む
スマホが当たり前になった今よりも、駅などに置いてあるフリーペーパーの類は多かったような気がする。
特に好きだったのは、リクルートが発行していたL25とR25。若手社会人向けのエンタメ系フリーペーパーで、渋谷駅構内のラックからいつもあっという間になくなっていた記憶がある。大人気。あとは、常にバイトを探していたのでタウンワークをよく見ていた。懐かしい。ホットペッパーも。

3.寝る
2限以降の授業が多かったので電車は比較的空いており、だいたい座れた。また、授業の空き時間にはよく大学の図書館に行き、あまり人のいないエリアの奥の席に座り、机に突っ伏して眠っていた。
暇でやることがない時間は、「可能ならとりあえず寝る」という感じだった気がする。今思えばなんて贅沢な日々なんだ・・・。

4.音楽を聴く(ソニーのウォークマンで)
当時はiPodが全盛期だった(気がする)が、私はソニーのウォークマン派だった。
TSUTAYAで4枚1000円ぐらいで借りてきたCDをパソコンに落とし、さらにウォークマンに転送するという今思うとかなり面倒な手順を踏まなければ、外で音楽を聴くことができなかった。
しかもウォークマンの容量が少なかったので、既存の曲を消さないと新しい曲が入らない。そのため外では、いつも同じ曲ばかりをループして聴いていたような気がする。

5.携帯でメールや写真、電話帳などの整理
携帯=ガラケーである。当時はクラウド保存などがなかったので、定期的に不要なメールや写真を本体から消除する必要があった。メールや電話帳のフォルダ分けをどうするか悩んだりとか。一応、ガラケーまでは機能をだいたい全て把握できていたと思う。スマホは高機能すぎてついていけなくなった。

6.外の景色や周りの様子を眺める
電車の中だと、中吊り広告を見たりとか。気になることがあってもその場で検索はできないので、「帰ったらパソコンで調べよう・・・」と思うのだけれど大体すぐ忘れていた。

だいたいこんな感じだったような気がするのだけれど、あまり思い出せない。
大学時代、私はサークルも途中で辞めてしまったし、バイトに精を出しているわけでもなく、基本的には単位を取っていれば良いという生活だった。
仕事や仕事に伴うプレッシャー等に追われまくる今になって思えば、何て贅沢な日々なんだろうと思う。毎日朝早く起きる必要もなく、最悪講義は休んじゃってもいい(自己責任ではあるが)。

しかし当時の私は私なりに、リア充な大学生活でないことへの焦燥感とか、学生時代頑張ったことが思いつかないけど就活で言うことはあるのかとか、せっかく若いのだからもっと積極的に何かをしなくてはいけないのではとか、悩みは尽きなかったと思う。
InstagramとかXとかが当たり前にある時代ではなくてよかったかもしれない。当時もSNSはあったけれど(mixiとか)、基本的にネットは自宅でパソコンの前に座らなければ使えなかったから、他人が発信する情報とはそれなりに距離をとることができた。
スマホがない時代に戻りたいとは思わないが、知りたくもない情報を知ってしまう機会は格段に増えた。まあ、自分がスマホを見なければいいだけなのだけれど・・・(それが難しい)。

ガラケーを使っていた時代が遥か昔に感じるように、いつか「昔は当たり前にスマホがあったなんて信じられない」という時代が来るのだろうか。

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