見出し画像

僕はおばさんになれない。

配信アプリが好きだ。配信するのも好きだし、全く縁のなかった人と話すのも好きだ。特に僕が僕の話を2時間よく知らん人にできるのは幸せ。話聞いてもらえる幸せ。でも当たり前だが、マッチングアプリと近い要素はあるし、簡単な自己紹介こと自分の所属、配属、遺伝子配列の開示は必要だ。普段の世界ではあまりやらないことなので、ネット社会になれるまで必要なスキルだと思う。しかしながら、世の中のアラフォーやアラサー女子に対するイメージと自分がかけ離れていることも、マイノリティーであることも異分子この上ないことなので、ネットでの自己紹介に懐疑的にならざるをえない。世間ではまだまだ40近い女=子供がいるか独身でバリバリみたいなバリバリが横行している。それ以外って想像しにくいよなーまさか田舎で彼女と畑しながら、のんびりスタイルとかブログの話だろうなと思う。そして僕が子供の頃にイメージしていた40代とはとかけ離れた世界が繰り広げられていて、本人も動揺している。商店街で買い物バック片手に大笑いしているてばちゃんになる世界線には来てなかったようだ。なんなら買い物バックはマイカゴだし、大笑いして話はするけど、あんなパンチパーマじゃないしなんならパンチパーマのおばちゃんも、あまりいないっちゃいない。僕の世界線は一体?!となったけど、三つ子の魂百までとするなら、僕は相川七瀬になりたい。し、相川七瀬になりたいと思ったら、ここまでこれた気がする。ほんと夢見る少女でなんとやらです。彼女を初めて見たのは1996年の紅白歌合戦。その時僕は8歳だった。ウルフルズとJUDY AND MARYが終わったあとに、彼女が出てきて黒い革ジャンみたいなのを着ていて歌って、大げさに礼をして終わった。僕はそのVHSを100回以上見た。なんなら、画面に筋が入るほど見た。擦り切れるまで見るというのが比喩じゃないことを僕は知っている。同じ曲を同じ場面を食い入るように見続けた。中学生ぐらいになるとモー娘。の映像もたくさん見たけど、あの時の紅白を上回る回数を見ることはなかった。僕は小学生低学年だったけど、あの時の相川七瀬の姿を未だに忘れることが出来ない。いろんなことがあったけど、あの時のロックが今も僕の生き方に影響している。ああだから、やはり僕は割烹着を着たおばさんには、なれないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?