【既作の話】受動的な動きが悪いのだろうか。

 そういえば以前各内容についてアンケートを取った際に「リリース済のタイトル」についても反応があった。今回はそれについて書こうと思う。
 現在連載という体で書かせて頂いている「ある書物の写本化記録」その本編となる、ふりーむ公開処女作「solis mundus」。諸般の事情(進行不能という深刻なバグの多さと制作データの復旧不可)で現在非公開中である。そんなものを書いていいのかという疑問は私が呈したい。

「五百年前に勇者によって倒された魔王。
「長い時を経て、私は再び甦る」そう遺した魔王が甦り、勇者を倒すために動き出した!」

 ゲーム紹介にはそう書いてある。現在一万年期を書いてる身としては、五百年が長いかはこれまた疑問であるが、まあ処女作なのだから仕方ない。
 リリース当初の内容は、魔王が完全復活するために自らの封印を解いて回って、最終的に勇者と対峙するものであった。魔王の勝敗で分岐する結末を両方見て真のエンディングが見れるという、今では何の目新しさもないエンディング方式である。
 元々全く違う世界観で制作していたタイトルの為、現在の一万年期に組み込むにあたって大幅な変更を行った。その補完も兼ね「写本化記録」を執筆している。

 処女作ということもあり、インパクトを持たせるためキャラにかなりの個性付けを行ったつもりだが、子どもサイズの魔王に対して、お供の鳥がフクロウやハシビロコウサイズは流石にやり過ぎではないかと思う。これはハクトウワシ(全長100cm前後)にすることにした。
 魔王も子どもサイズとざっくり書いたが、お供とのアンバランスを考えると120cm程度が妥当ではなかろうか。日本国政府統計では、2019年のデータで120cmは6~7歳の平均身長辺りとなる。全盛期を2~30代とするとかなりの弱体化である。

 バグの巣窟であったダンジョンは、簡略化された平面マップを移動するものであった。当時熱中していたゲームをそのまま参考にしたのだが、まあひどい出来であった。特に三話目で使用する予定であったマップが、当初のシステムそのままでは移動そのものが手間ということになり、一から作り直すことになってしまった。余りにひどい。

 六年前のタイトルをこうして見返すと、色々とめちゃくちゃな設定を付けていたことがよく分かる。ただ、このタイトルは今でも完成させ公開したいものだと強く願っている。処女作故だろうか。

 「写本化記録」2話目はなるべく早く公開したいものである。

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