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手羽先の拳銃/5分で読める現代短歌19

手羽先を拳銃としてわたくしはあなたの不幸を奪う強盗
/工藤 玲音

 くどうれいん、と読みます。ここ数年、単著や雑誌での連載などを立て続けに発表しているサブカル-文芸間の期待の新人のひとりだと思います。もともとは俳句・短歌からの出身で、現在も結社や同人に所属しています。

手羽先を拳銃としてわたくしはあなたの不幸を奪う強盗

 見立ての歌ですね。鶏の手羽先を拳銃に見立てています。形が似ていることからの発想でしょうが、明確に〈わたくしは〉〈強盗〉と名乗って〈拳銃〉を自身の武器としているところがポイントのひとつです。道具として手に取っている感じから、その手羽先がおそらくは手づかみで食べるタイプの揚げものや塩焼きであることまで読者の想像の射程に収めています。うまい。タレがかかっていて箸で食べる感じの料理じゃないっぽいですよね。

 もうすこし細かく修辞の話をする前に、おおまかにでも歌意の共通認識を用意しておきましょう。

手羽先を拳銃としてわたくしはあなたの不幸を奪う強盗

 いわゆる相聞歌で、エネルギッシュなジョークです。おそらくはいっしょに囲んでいる食卓に手羽先があり、わたしはあなたを幸せにするんだという意志表明の具体的なアイコンとしてその手羽先が用いられている。

 で、その意思表明の強さというか、強引なまでの頼りがいみたいなものを表現するための修辞として〈拳銃〉〈奪う〉〈強盗〉といった暴力的な語が斡旋されている。《幸福》にするのではなくて、〈不幸を奪う〉とする把握には主体の価値観も滲みますね。〈奪う〉と〈強盗〉には重複がありますが、その仰々しさもここではいい効果を生んでいると感じます。

 どちらかと言えばネガティブなワードの、使われ方を日常の語用から転換することでその印象を激ポジティブにするテク。
 典型的なラブコメとかで、初めは険悪な主人公とパートナー候補があとあとちょっとしたきっかけで仲良くなるやつ、あるじゃないですか。あれです。ちがうか。

手羽先を拳銃としてわたくしはあなたの不幸を奪う強盗

 ともかく、普段使いの価値基準を転換する/ズラすところで詩情を醸しつつ力強い意志表明をしているわけですが、それをジョークの形式にギフトラッピングしてある。受け取りやすいように。決して心底真顔ではない、たとえ相手に見せている表情が真顔だとしてもその真顔すら キリッ という効果音のつきそうな、この表明すら笑ってほしい感じ。

 ここでの“ジョーク”らしさは、ギャップによって生じていますね。表明の内容と、主体の妙な改まり方のギャップ。〈としてわたくしは〉の改まり方です。ここで一気に、以降をふたりのあいだのジョークとして受け取ることができる。でもその内容はやはり改まって伝えてもおかしくないような大真面目な愛で、ズレてギャップになっているのは見立てを中心とした修辞の部分です。

 ちょっと入り組んだ感じにここまで書いてしまっていますが、要は二転三転させているんです。

手羽先を拳銃としてわたくしはあなたの不幸を奪う強盗

 まず大真面目な強い意志があり、修辞を転換させて〈拳銃〉を持つ。そしてまた、〈としてわたくしは〉と差し込むことで大袈裟なフレージングをしますよとジョークのポーズに転換させる。でもこのジョークで伝えたい内容は大真面目な意思表明のままで、その強度を先ほどの〈拳銃〉の転換が支える……。
 この二転三転が、ジョークをジョークとして魅力的たらしめながらも、歌の詩情を損なわないまま相聞として成立させていると感じます。

 どことなく、こちらの期待通りの演目を期待通りのレベルで見せてもらっているような感覚、作者の手つきっぽいものを感じるところはあります。けれど自分ではつくれないだろうなあという感想も含めて好きな歌です。工藤の歌は必ずしもこういった作風・文体に限らないのですが、強みは圧倒的にこういう演者の振る舞いだとおもう。今日は、不幸強盗の役。

手羽先を拳銃としてわたくしはあなたの不幸を奪う強盗
/工藤 玲音「氷柱」

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 この歌の初出は月刊雑誌「短歌研究」(2016.2)で、おそらくアンソロジーなどには未収録です。工藤は歌集未刊なので、別の単著をリンクしておきます。『わたしを空腹にしないほうがいい』の冒頭文だけで、すげー好きなひとはすげー好き!ってなるだろうし、なんだなんだ鼻につくぜーっ!って苦手なひともいるだろうな。はっきり分かれると思います。リンク先で読めます。

 好きなあなたも苦手なあなたも、とりあえず一回は読んでおくことをおすすめする歌人、エッセイストです。

 


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