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塔 月詠/2024.01


五番線、これまでここで交わった出会いと別れのどちらが多い

テトリスとオセロばかりがうまくなる触れないように背を捩りつつ

ふたりでも程よいベッドに向き合って夜通しまばたきを聴いていた

風はつねに音から雨は匂いからきみを見つけるのは角度から

こぼれないように詰め替えボトルから移すのは一筋の光だ

smoothの鼻濁音教わりながらまたひとつ賢くなってしまう

いまどこを走っているかわからないから地下鉄は面白い、だろ



 あけましておめでとうございます。
 とはなかなか言いづらい国際情勢、国内情勢。元旦の夕暮れに大きな地震が起こるとは思いもしなかった。みんなのんびりとお酒飲んで酔っ払ったりしていた頃合いだろうにね。いや、事前に思っていた地震なんて、ひとつもないのだけれど。

 東日本大震災のときぼくは大阪の実家のリビングで、東京にいた当時好きなひととSkype(Skype!)で通話中だった。イヤホンの向こうで彼女が「地震だ、大きい、避難するね」とすこし慌てて告げ、彼女の側はスマホだったのだろう、通話はつながったまま、おそらくそれを握る彼女と共に外へ出て、雑踏の音声を大阪へ届けた。
 それに少しだけ遅れるようにして大阪のマンションも揺れ、その揺れの時間差と大きさから、震源が東京寄りの南海-中部-北陸のどこか、あるいは東北であることが分かった。その時点でのぼくは、前者だと考えていた。東北だとは微塵も考えなかった。可能性としては有りうるけど、無し。大きすぎる。大きすぎるから、と理を立てることすらしなかった。
 右耳を通話につなぎつつ、どこなんだろうとテレビを点けた。空からの映像に、黒くて燃える地表が、町を取り崩しながら滑っていく中継だった。画面隅に切り出された日本地図の断片が、東北だと示していた。

 彼女は無事で、そのしばらくあとに疎遠になってしまう。ぼくが就職で東京に来てから一度だけ会ったが、もう連絡先もわからない。きっと二度と会うことはない。元気でいてほしい。

 これまでにぼくと擦れ違った世のひとのなかに、実はもう何度も擦れ違ったひとがいるかもしれない。たとえば最寄り駅とかなら、生活リズムの合うひとたちと、本当に何度も有りうるだろう。スーツのあの男性か、幼いこの小学生か、ギターの彼女か。でもぼくたちはお互いにきっと知らないまま、いつか必ず、二度と出会わなくなる。全然想像もしないまま、それが一度目でも百度目でも、必ず、それを最後に二度と出会わなくなる日がくる。
 一度も出会わないままのひとびとの方が遥かに多いこの世で、擦れ違うだけの、大きな世界の一部同士として、雑踏の音声同士として、見つけないし見つけられないまま、でも互いに誰もが元気であってほしい。元気であることのできる、運命の歯車であってほしい。燃える飛行機の画角の外で、さっき一瞬大きく光った場所にいたであろう誰かのことも気になって仕方なかった。

 今号の掲載は七首。ありがとうございました。
 送った昨年10月はちょうど塔新人賞の募集締め切りを控えたタイミングで、新人賞応募作から外した歌たちを送った。送ったことも忘れていたけれど、鍵外に掲載いただけて嬉しい。落とされた三首のことは今でも思い出してやれない。申し訳ない。目次にも名前があり、忘れていたのでびっくりした。
 三か月前のことすら曖昧な暮らしで、いまを大事に、と言えばあまりに薄っぺらく、ほとんど常に忘れてしまう。きっとほとんどの人生がそんな感じなんだろう。かけがえのない、でも代替可能性に満ちた生活を、その滑らかさを、程よさを、守っていく。2024年も、よろしくお願いします。

 

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