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すべての透明/5分で読める現代短歌10

君はいま「空が高い」と思ってる よいことだけをしたいと願う
/中村 美智

 現代短歌の範疇では、歌中の“君”や“あなた”は恋人を指す———と読まれがちだが、必ずしもそうとは限らない。いわゆる相聞歌であることは確かに多いけれど、ルールや規則の類いではない。もちろん、そのような前提を用いれば、31音のなかでより多くの情報を共有した気になることはできる。俳句における季語が、その季語をこれまで用いてきた過去作をもおそらくは背負うように、短歌では、主体の(直接的な)心象描写に加えて、こうした“暗黙の了解”が読みの共通認識の生成にすくなくない機能を担っている。改めて言うのも今更、というレベルの話だが、(現代)短歌はややもするとマジョリティの文芸としての側面が台頭することを避けられない。その暴力性に関してはまた別に先達がいることだろう。

 そのうえで、掲出の中村の歌を読む。
 ここでの〈君〉を、なるほど恋人と読むことは可能だ。しかし、必ずしも恋人でなくてもよい。友人, 後輩, 子ども, ひょっとしたら街中でたまたま見かけただけの誰かかもしれないが、ともかく心的距離の近い〈君〉だ。上司と部下のような権力関係下で他方が“君”と呼ぶ/呼ばれることもあるだろうが、ここでの〈君〉は、主体にとって心寄せのできる距離にある誰かだろう。

君はいま「空が高い」と思ってる

 〈君〉の心象を、主体が勝手に想像する。〈「空が高い」と思ってる〉と括弧まで付けて、かなり具体的で断定的に。《空が高い》という感想に留まらず、〈「空が高い」〉と肉声まで聞こえてくるような精度で推察する。それも、〈いま〉という、おそらくは眼前の出来事に対して。〈君〉は、たとえば空を見上げていたりするのだろう。その表情, しぐさ, あるいはこれまで〈私〉とのあいだに築いてきた記憶が、〈君〉の内声を主体に聞かせる。この推察はまさしく勝手でありながら、しかし、まばゆい透明性をもって〈私〉と〈君〉の関係をひからせる。

 そしてこの透明性は、〈君〉の目に映る空の高さから通ずるのだろう。その目に見える、空の高さ。〈「空が高い」と思ってる〉〈君〉の目に見える空の透明性と、そのような〈君〉の心象を推察する〈私〉とのあいだの透明性である。

 この透明性に応え、下句の感慨が喚び起こされる。

君はいま「空が高い」と思ってる よいことだけをしたいと願う

 ここでの〈よいこと〉は、なんら具体的ではない。言わば善く生きることであり、主体自身の倫理観に背かない、あらゆるすべての〈よいこと〉。濁りのない、純真な生でありたいという願い。関係性により意識を向けて読めば、空を見る〈君〉の、その同じ目で自身も見られたい、そのまなざしに応えたいという意志の喚起、と読むこともできるだろう。
 いずれにせよ、ただそれだけをしたいと願う、考えるよりも先に生じる意志をぎりぎり逃さなかったような認識が下句だ。たいへんに際の際の認識を捉えているようにわたしには読める。

 “~したい”という欲求・意志を〈願う〉のは、日常の会話、散文においてはやや不自然な用法であるように感じる。願われた未来は、往々にして主体的ではなくなるからだろう。
 たとえば試験に合格したい, 遊びに出かけたい, おいしいものが食べたい、などは主体の意志の支配下にある。合格したいから勉強し、出かけたいので準備をし、食べたいので料理店へ行く。適うかどうかは別として、未だ主体の努力・行動によって制御される余地を含んでいる。
 一方、試験合格を願うのは、もはや神頼みに近い。叶わないかもしれないが、人事を尽くして天命を待つといったところにある。祈りとはまた少し異なるが、すくなくとも自身の主体性から離れて物事が左右される境地。
 この微妙な差異が、〈よいことだけをしたい〉という感慨の透明性に寄与する。

君はいま「空が高い」と思ってる よいことだけをしたいと願う

 下句〈よいことだけをしたいと願う〉には、主体自身の意志と並んで、そのように生きてゆくことができるこれからであってほしい、という運命的な領域への願いが滲んではいないか。
 どうしようもなく、たとえ強い意志を持っているつもりであっても、それを曲げてでも〈よいことだけを〉しているわけにはいかない場面はやってくるだろう。そこで「曲げてしまう結果がすべて、要は意志の強度が甘かったに過ぎない」と切り捨てる論法は、もはや詭弁である。そういうこともありうるよね……といった打算的な自己弁護を挟む隙のない、〈君〉の心象を聞いて生まれる感慨のその透明さをテキストに落とし込もうとつかんだ結果の、〈願う〉ではないだろうか。もちろん、上句〈思う〉との重複を避ける必要も十分に考えられる。対句構造の歌では、どの程度まで対句的であることに重みをつけるか検討されることだろう。しかし、それこそ結果として、〈願う〉による下句の透明性担保は成功していると感じられる。

 上句の、〈君〉の見る空の抜けるような高さ、その内声が聞こえたような気のする〈私〉と〈君〉のあいだの通じ合い、そして下句で応えるように主体のうちに喚起される〈よいことだけをしたい〉という感慨の純真。そのすべての透明を、歌のかたちにとどめるため、作者が〈願う〉とかるくにぎる。つよくつかめば、きっと見えなくなる。

君はいま「空が高い」と思ってる よいことだけをしたいと願う
/中村 美智「ぼくらはペーパードライバーズ」

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中村は、北海道大学短歌会の出身。
掲出歌を含む連作が『北大短歌3号』に収録されています。

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