縦書きの国に/5分で読める現代短歌17
縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています
/飯田 和馬
初読で意味がわかって、「おっ」と感心させられるタイプの歌ですね。
飯田は、Twitterなどを中心に活動する短歌アカウント。この歌も、飯田のTwitterが初出です。記事末尾にリンク置きます。
読めば誰でも歌意は取れると思うんですが、書く上での利便性から、一応初めの段階で歌意を共有しておきますね。たぶんズレていません。
縦書きの国に生まれて
〈縦書きの国〉は、日本(語)のことでしょう。今でこそインターネットメディア含めて横書きの文字列を目にすることが増えましたが、ここでは“日本語は縦書き”という前提に立っています。
縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています
上から下に流れる縦書きと、降る雨を、換喩として重ねているわけです。文字のひとつひとつ、雨粒のひとつひとつ。連なるテキスト、降り続く雨。雨にもいろんな降り方があって、物語にもいろんな物語がある。〈雨〉という語が帯びやすい詩情を射程に入れた換喩。
そして、縦書きと雨と物語はそういうものであると〈存じています〉と仰々しく閉じる。“日本語”や“国”や“物語”というものに対する、敬意のポーズ。
基本的に、この読み筋はほとんどの読者で共有できていると考えています。(全然違う意味にとったという方はコメントかDMください)
で、実際、一読して「おっ」と感心させられるかと思います。なんか気持ちよくなっちゃうんですよ。上手いよね。
でも、この気持ちよさは、一度疑ってから受け取ったほうがいいよな~と思います。たぶん、気持ちよさ、2種類あります。
縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています
この歌のなんか気持ちいい感じ、まずひとつは「ふ~んなるほどね~~~!」みたいな感心ですよ。上手いんですよね。核になってる換喩も、〈縦書きの国〉という圧縮[縦書きの(言葉を文化にもつ)国]も、〈雨降りは物語〉の脚韻っぽさも、全体に上手い。しみじみいいなあと感じてから分解していく巧さとは違う、初読ですぐに理解させられる上手さ。わからされちゃう。
そして、もうひとつの気持ちよさなんですけど、この歌を読んだとき、どことなく“日本語”や“国”や“物語”における愉悦/優越は、ないですか?
ぼくのなかには、ある気がするんです。
この言語が、縦書きであり、わたし(たち)の母語であり、雨降りの叙情を湛え、そこから物語を引き連れてくる“特別な”ものであり、そんな国に生まれたわたしたち……。
とまではまだいきませんが、そういう誇らしさの薄皮をくすぐられるような気持ちよさ。この国、この言語、この詩情だからこその表現……。
縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています
歌の上手さも相まって、すっと胸に差し込まれる愛撫を、諸手で受け入れてしまいそう。良いように撫でられちゃう猫とかこんな感じだと思う。
しかし、その愉悦は、仮に享受するにしても、いちど疑ってみる必要はあると感じます。それはただ自文化中心主義に陥りかねない危険からというわけではありません。
この歌そのものからも、一歩引いて批判的に見ることを求められているように思われるからです。
それは、どこからか。結句です。
縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています
この〈存じています〉は、謙譲表現です。敬意を示す相手がいます。
歌の発話者は、何に敬意を表しているのか。
まさしく“日本語”や“国”や“物語”というものに対して、でしょう。
ほかにだれがいます?
なるほど確かに、文化や、歴史や、積み重ねられてきた時間と営みに敬意を持つことは大切です。尊ばれて然るべき振る舞いです。ぼくも失いたくないなあ。
しかし、この歌での響きは空疎です。ポーズなんですよ、これ。
おおげさに、敬意を表していますよ~というポーズ。実際の敬意の有無は分かりません。あるかもしれないし、ないかもしれない。それは問題じゃない。ただ、この〈存じています〉は、発話者の敬意を表するためではなく、読者に気持ちよく感じさせるための小道具です。こんなところまで上手いんだよなあ。わたしが捻くれてるから、というわけではないと思います。
過去は顧みて、批判的に捉え、失敗も成功も現時点での評価として乗り越えていく気概が求められます。日本語の短詩表現で、その日本語と叙情を間接的に礼賛する修辞が用いられた狙いに立ち止まりたいところです。こんなあからさまな小道具、見逃せますか。
換喩、圧縮、韻といった小癪な上手さが、この結句がただの手癖や投げやりな音合わせだとは思わせません。明らかに、狙ってきている。もしかして、こんな穿った読みを誘うところまでが狙い――?
いい歌だと思います。
でも、その“いい歌”と感じる理由は何か、どこからなのか、一歩引いて自分を見つめなおしてみる。そうすることで、歌がまた違う表情を見せてくる。その観点からも、いい歌に違いありません。
この歌を知ったのは、わたしが短歌始めてすぐの2014年頃だと思うんですが、たぶん、上記の読み、その頃のわたしからは、ぜったいに出てこなかったと思います。いま、めちゃくちゃ鋭利な歌に見えている。こわい。
縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています
/飯田 和馬
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初出はこちら。8年前、2012年の発表です。
このリプライ先は、「うたらば」という写真×短歌のフリーペーパー。田中ましろという歌人が、なんと2020年現在も発行しています。すごい。メディア掲載も豊富でフリーペーパー大賞の受賞歴もある、もはや短歌投稿先の老舗のひとつです。掲出歌はペーパー本誌ではなく、ブログパーツ掲載用の第31回お題「雨」に宛てた歌でした。
「うたらば」の公式サイトは以下です。過去の採用歌も読めます。
定期的に短歌の募集もしているので、実作に興味をもった方は是非応募してみてください。田中の本業はCMプランナーということもあり、採用されればキャッチーな写真も添えられて全国津々浦々の書店やカフェにあなたの歌が届きます。
5分で読める現代短歌、5分でつくれる、こともある。
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