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塔 月詠/2023.05



鈍色の犬になっていた冬のモノポリーでは周回遅れに

友人を夫婦に変える証人の任意の朱肉 少し擦れた

新宿のエジンバラでも珈琲が飲める こちらは二十四時間

ひと駅を歩いたあとはその分を乗って帰った散歩の寒梅

ポケットの深くを順に探りつつ私の鍵が落とされていく

信号のむこうの白い交番と視線の繋がったまま向かった

行先のほかは委ねるタクシーの仄明かり ほんとうに正しい




 今月の塔に掲載された7首。今年の2月につくった10首から、3首が落とされて7首載った。ありがとうございました。残された3首のことをまたいつか思い出してやる。

 "つぶやき実景"という(一部にだけ通じる)用語がある。その名のとおり"つぶやき"+”実景”というつくりの歌のことを指す語として、ぼくの所属していた大学短歌会では通用していた。今も同会では通用しているのかもしれないがわからない。当時の会員とその前後、および会員と交流のあった一部では通じる。
 短歌は31音あって、何かを語るには短く、何も言わないには長すぎる。その結果うまれる技巧や構造のうちのひとつとして、"つぶやき実景"と類型化されるものがあるのだろう。
 作中主体の"つぶやき"という体で何か心情の吐露だったりこの世への気づきや疑問だったり箴言めいた文句をまず提示し、一字空け、関係ありそうでなさそうなモノの描写をぶつける。関係ありそうでなさそう、なのだが短歌定型の内で並記されると、もはや"関係あってほしい"という欲望とすら言える力が働いて、その一字空けを架橋する。その跳躍を詩的飛躍として人間は気持ちよくなったりする。

 なんで急につぶやき実景の話をし始めたかというと、再び歌をつくるようになってからの自分の歌に、字空けが多いという指摘を受けたことに端を発する。
 字空けが多い。まったく無自覚だったのだが、確かに~~~と驚く。しっかり読んでいただいていてうれしいような、手癖というか思考様式に近い内側を見抜かれたようで恥ずかしいような。その眼で今月の7首を見てみると、3/7に一字空け、しかも結句が切り離された形式ばかり。でも自分でしっくりするつくりにすると自然とこうなるので、いまのモードがそうあるという理解をせざるを得ない。
 字空けの効果にもいろいろあるが、すくなくとも7首目なんかは、"実景つぶやき"だよなあと思い、つぶやき実景の話をするに至った。

 新人賞とかに出そう、と歌を集めると30首とか50首とかになる。それだけ並んでいるとさすがにいろんな手札を見せないと飽きられるだろうし自分でもつくっていて辟易としてきそうなものだが、まあご愛敬。
 新人賞などを目標に置くなら「月詠は素振り」と友人が言っており、確かにな~と思う。素振り、目的に沿った正しいフォームで行うことに意味がある。その点では似たようなつくりばかりやっている場合ではないけれど、まあまずは自分が自然と書ける文体を体得させるところからです。
 ぼくはぼくの歌好きなんですよね。それで、読んでもらえるとさらにうれしいです。それくらいのつもりでやっていきます。

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