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イルカがとぶ/5分で読める現代短歌20

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く
/初谷 むい

 歌集の巻頭歌。どの連作にも属さず、1ページめの中心にこの一首のみが据えられている。ここから、初谷むいの歌が始まる。イントロ、のまえのドラムのカウント、くらいのスピードでメロディに乗せられていく。
 初谷の歌、文体の特長のひとつがそのリズム感だろう。

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く

 特に現代の短歌韻律の拍については、“短歌4拍子説”が主流のひとつになっていると言っても過言ではない。句切れに休符を入れる、4/4拍子の拍動でわたしたちは歌を内声に再生している。
 『花は泡』の解説で山田航も書いているが、この句切れにも言葉を乗せて4/4拍×5小節を目いっぱい使おうという歌はもうそれほど珍しくない。どころか小節の枠すら打開しようという文体を志向するフラワーしげる、そもそも一首・連作の形式も窮屈な瀬戸夏子など、単なる定型の拡張・破壊自体に新規性はもはやない。

 しかし、初谷作品におけるその自在さ、定型に対する音の過不足を乗りこなすリズム感は十分に特長だろう。必ずしもすべての歌が端正な4つ打ちを脱しているわけではないが、わたしは初谷の歌でリズムの心地よさを楽しみたくて読んでいるところもある。数を引くことは控えるが、たとえば次の歌、〈 あ 〉の挿入など、ちょっとした発明じみている。

カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか
/「春の愛してるスペシャル」
 1. 春はあけぼの ゴミ袋、光をよく吸いよく笑う


 掲出歌でも、このリズム感の片鱗が見える。

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く

 初句〈イルカがとぶ〉の6音で勢いに乗り、そのまま〈イルカがおちる〉と畳みかける上句。続けて〈何も言ってないのにきみが〉と句跨りでドライブをかけつつ下句へつながるのだが、この句跨りの前に置かれている〈言って〉の促音もよい働きをしている。ことばが跳ね上がり、転がり流れていく。ふたりのみているイルカの速さで。もしこの初句が《イルカとぶ》と助詞抜きで定型5音に収められていたとしたら、このような効果は得られなかっただろう。

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く

 イルカショーを観ているのだろう。〈きみ〉とのデートで水族館にでも来て、すごいね速いねかわいいねなんて言いつつイルカショーを楽しんで。そのさなか、水しぶきと歓声の空間に自分は何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く。びっくり。きみは何かを聞き間違えたのか、それとも、私の何かが漏れ伝わってしまったのか……。相聞歌のなかでも、相手とふいに通じ合ってしまったような一体感や一瞬の尊さにフォーカスした良い歌。〈「ん?」〉の発話も効いている。

 きっとどぎまぎ何も言ってないよって答えて、たぶん〈きみ〉はもうイルカショーに戻っていて、相も変わらずイルカはとんでおちていて、みんなみんな元通りになって、私だけがまだ数センチ浮いたような心地にいる。

 歌集全体に恋愛や性の歌が多いけれど、そのなかでも抜群にひかる、初谷の文体やモチーフを象徴した巻頭一首めとして素晴らしい歌だと思う。1996年うまれの初谷は当時現役の北海道大学の学生で、卒業後の2020年夏現在もたびたび歌を企業キャンペーンや文芸展に発表している。『花は泡』の増刷(3刷め!)も決定したようなので、気になった方は是非。

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く
/初谷 むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』

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