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いずれきたる/5分で読める現代短歌18

あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」さう、けふもさみだれ
/松平修文

 松平修文は、東京藝術大学院卒の画家, 評論家の面を持つ歌人。特に東京は青梅市立美術館では副館長を務めていたようだ。
 わたしは松平のことを学生時代のサークル合宿で催された勉強会で知ったきりで特別好きな歌人というわけではなかったが、2017年の逝去の際にはどことなくさみしく感じたことを覚えている。勝手な話だけれど、自分の読んだことのある歌人が亡くなるおそらくは初めての経験で、すこし感傷的になったのだろうな。
 掲出歌は、松平の第一歌集『水村』(1979)から。原本はもはや入手困難だが、2011年に刊行された選出歌集『松平修文歌集』で読むことができる。

あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」さう、けふもさみだれ

〈あなた〉から葉書が届き、その書き出しに〈「雨ですね」〉とある。それを読んだ主体が〈さう、けふもさみだれ〉と相槌を打つという歌。そう、今日もさみだれ。
 この〈はがき〉は、まさに先ほど届いたばかりなのかもしれない。ひょっとすると、以前に受け取っていたはがきをいま再読しているのかもしれない。わたしには〈きたる〉がなんとなく届いたばかりであることを感じさせるのだけど、そこは特定できない。いずれにせよ、この〈けふ〉は、〈あなた〉がそのはがきを書いたときからは離れている。投函されて、郵便を経て、主体の手元に至り、今日読まれるまでの時間を過ごしている。
 しかし、〈さう、けふもさみだれ〉という相槌は、その時間の隔たりも、〈あなた〉の書いたその場所と主体の居場所の空間の隔たりも、包み込む。ひとつの時空間として受容している。

あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」さう、けふもさみだれ

 〈あなた〉が私に宛ててその文を書いたそのときその場所も、〈はがき〉を受け取って「雨ですね」と呼びかけられた私の今日も、ともにひとしく〈さみだれ〉のなかにある。〈あなた〉は彼方、遠くの場所を指す言葉。

 より正確には、あなたの〈雨〉がさみだれかどうかはわからない。実際にありそうな話に絞って考えても、〈あなた〉が書いたのはたとえば秋雨のことかもしれない。とかく「雨ですね」と語りかけるとき、相手に届くときにはまだこの長雨のなかにあることが推測されていればいい。それがいつの〈雨〉であっても、私がこの歌において〈はがきのかきだし〉を読んだそのときその場所で〈さみだれ〉のなかにあることだけが分かる。ひょっとしたら、翌年以降の〈さみだれ〉なのかもしれないものね。いつかのあなたのさみだれも、私のいまのさみだれも変わりないよ。

あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」

 初句から、畳みかけるように修飾がかかっていく。初句は二句へ、二句は三句へ。すべては「雨ですね」へつながるのだが、ここで括弧つきで「雨ですね」と語りかけられていることには留意したい。あなたの肉声が聞こえる。
 韻律もころがるようで、特に〈きたるはがきのかきだしの〉3・4・5には勢いがある。ai音とか。修飾関係も相まって、有無を言わさずこの語順で受け止めさせるちからを感じる。

あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」さう、けふもさみだれ

語りかけを受けて〈さう、〉と応える主体は落ち着いているようだが、この上句の勢いからすると、どことなく胸の奥に焦がれるような熱を持っているのかもしれない、と個人的には感じる。その熱を抑えるようなひといきの歌。さう、けふもさみだれ。

 インターネットが当然になった現代、いま「雨ですね」と話しかければ、いまのさみだれが返ってくるだろう。すくなくとも〈けふ〉という大きな括りでは受け止められない。まさしく同じ雨を離れていても認められることにもその良さがある。あるいは、まさしく同じ瞬間であっても異なる天気のなかにあると分かることにも良さがある。

 しかし、郵便による時空間を経たコミュニケーションにも、その良さがあることをしみじみと感じるところだ。
 この歌のような「雨ですね」という語りかけは、はがきのなかにその〈雨〉を閉じ込めている。閉じ込めて、主体のもとにきたる。そのテキストを私が読むとき、閉じ込められていた〈雨〉があなたの声と立ち現れて、私の受ける今日の〈さみだれ〉とつながる。そして、わたしの今日とつながる。
 この時空間の接続は自在で、ひとの認知と精神の自由を感じさせる。

 わたしはこのテキストを騒々しい7月の雨のあいまで書いているけれど、いつかこの歌といっしょに遠くの誰かの雨と重なるのかもしれない。九州の一部では豪雨の川に町が飲まれたとの報道。雨の外から、雨のことを観ています。雨のなかにあって降っていない雨の外を見ることは難しい。でも、わたしがその雨を受けるときもいずれ来る。書くこと、残すこと、届くこと、あなたとわたしにいずれきたる雨の日の歌だと思う。

あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」さう、けふもさみだれ
/松平修文『水村』

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