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塔 月詠/2023.04

待ち合わすたびに真っ直ぐ歩き来る ぼくはあの冬に間違えて

すれ違うひとの多くが祇園から八坂へ向かう角を左へ

対岸の高い凧あげ 励ましがある 視界には途切れていても

参道の復路には無くなっていた露天商いちおしの百合根も

東京へ送った荷物を東京で受け取っている すべては時差のなか

買わなかったお守りも思い出になるかなあ、川面を光が撫でる


ひさびさの月詠。6首掲載でした。ありがとうございました。
2023年は毎月10首出すぞ、と決めている。まず1月の三が日、鴨川沿いを友人と歩いて初詣に行った、澄んで明るい一日の話でした。

昨年末に引っ越しを終えて、すこし生活が落ち着いてきている。新しく住んだ町は曜日を問わず賑わいがあり、学生やファミリー層も多い。駅前の再開発も伴い、町全体が「これからもっとげんきになっていくぞ」という雰囲気に満ちていて好きだ。もちろんその明るさに覆われてしまう路地裏があることは意識したうえで、駅前の飲み屋街、雑多できたない小路たちはそのままに残ってほしいなあと思う。

生活が落ち着くにあたり、まずは、一度手を付けていたものを継続させること、そして先へ推進させることを今年の目標にした。
継続と推進。2023年はこれです。

そのひとつとして、月詠の再開がある。
おそらく2022年はいちども月詠を出していないので、一年以上ぶり。2022年10月号にはぼくにとって最後の十代・二十代特集が載っているので、まったくのゼロではないが、まあだとしても本当に久しぶり。
同じく月詠をぜんぜん投稿できていないと嘆いていた大学短歌会時代の友人と結託して、毎月、連作の歌会を催すことにしている。現時点で1-4月は毎月開催が達成されており、お互いに月詠も出せているのでえらい。

日々の忙しさにかまけて、歌をつくる習慣に加え、短歌をやっている人のコミュニテイー、そしてそのエネルギーからもずいぶん遠ざかってしまっていた。不義理も多くある。4月から、挽回の機会をいただきたい。と言いつつ、またもや仕事がそれなりの厳しさを見せており、どうにか心身の調子を取りつつ……という言い訳添えになってしまう。自分都合で昨年から先送りにしてしまった大きな目的地がひとつあるので、自身の手綱を握りつつ、なんとか走ってもらいたい。がんばらせてください。

短歌をやっている、その一点だけで仲良くしてくれた/くれるひとたちがいることをありがたく思うと同時に、自分の歌をつくる目的が他人とのコミュニケーションになってしまわないか、短歌を人間関係の道具にしてしまわないか、ときどき恐くなる。
じゃあ何のためにやっているのか、と尋ねられると答えに窮してしまうのだが、すくなくともぼくは、誰かと仲良くなるためでも、自分を救うためでもなく、なんかそこに定型があって、短歌韻律に載せると/乗ると気持ちよくなることができるから、と言うことしかできない。そしてときどき、過去の自分の歌を読むと、そのときの自身たちから遠ざかって振り返りながらも、都合よく捨象された純度の高い、そして彩度の低い感傷が得られる。救われはしないけど、忘れもしない。
これからも、しばらくはそのように続けるとおもう。



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