見出し画像

smooth /30首


交差点むかいの停留所を指して信用しないよう言われおり

寄り道をしていたバスがさっき見た緑の自転車をまた追い抜く

銭湯の帰りのにおい風にとけローソンまでを長いジョークに

春の河口に振り向けばふいに見せてくるラバー・ペンシル・イリュージョン 遥か

ミニチュアのように芝生の家族たち凧をあげ対岸の鉄塔

ちょっとずつ追いぬかれつつ特急と日差しの橋を普通わたっていく

就活の話をしないしばらくを迂闊に触れぬほかに過ごせず

七月のドーナツショップ 海蛇でひとしきり盛り上がったあとの

泣きながら四種の薬剤を淀みなく選り分けていく様を、見ていた

街路樹のそばをわずかに俯いて過ぎれば影も抜け出してくる

あなたからは見えない空に夏の月 つめたさを撫でつつ穴に触れる

飲み切ったばかりの氷がよく鳴ってもう怒らずにちゃんと言いたい

おそわって気づく寝ぐせは強情になんども跳ねる なんども笑う

かるいバイクみたいな音でスケボーの滑ってゆく繁華な大通り

橋梁、と想像すればゆうぐれに大いなる恐竜の尾のびる

文化人類学の教授のかわいさを贈与の身振りつきにあなたは

炭に火をうつせば静かに息づいたゆうやけは雲の燃えたるところ

映写機のようにホイールは車窓までひた運びくる町のはなしを

内定の第二報を聞く 二番目がいい 涸れない泉の深みをおもう

注がれて初めて泡と立つまでを静かな闇の並ぶテーブル

電灯にくりかえし蛾のぶつかって誤差ほどののち紐は揺れだす

もみじ葉の半ば終わっているなかを歩いた袖がほころんでいた

誠実に生きていたいよ通学にときおりバスを選んで乗って

つむじから抱きこんでいる 荒波よ余すことなくあなたに満ちろ

本棚のことを話して冷えた手の触れた頬からホテルは開く

晴れてきたら映えてきれいと窓辺から橋の緋色を指さしていた

明るんだ駅に言えないことばかりあふれるそばから涙は冷える

見せられた寝相のやけにてれくさく、それからはそのように眠りぬ

すこし雪降ったんだね、だいじょうぶ 微笑んでいるようだったけど

凍結の三日月湖をとり残しつつ海までをゆくように続ける




 第8回塔新人賞の応募作。2017年晩秋の応募、2018年初夏の発表。
 1票獲得で予選通過。(当時は、審査員ごとに持ち7点を◎2点, 〇1点に振り分けて加点する予選形式だったらしい)

 *

 ぼくは2018年春に大学を卒業して、同年夏から会社員として働きだした。時系列的には、この賞の結果を見てから働き始めたことになる。もうずいぶんとおい。「smooth」には2016年晩秋から2017年晩夏の歌が含まれる、たぶん。人生で出した3つめの新人賞で、これ以降、何も出さなくなって6年になる。2014年歌壇賞, 2015年石井僚一短歌賞, 2017年塔新人賞。
 これ以来ぼくは公私(と言うほど公があるわけでもないただの会社員なので変な感じだが、言い換えれば仕事も仕事以外も)の忙殺を理由に短歌から遠ざかる生活になった。年に2, 3回の月詠を出せばよいほう、くらいの。出した月詠も、まあそんなに元気なものでもない。
 今年2024年の第14回塔新人賞の結果が出たことを受けて、6年前のこの子たちを、そろそろどこかで風通ししてやりたいと思った。正確には、2018, 2019年ごろにTumblrで公開していたのだけど、そのTumblrごと非公開になってもう長い。そろそろ埃も降りしきり、紙魚の泳ぐインターネットの藻屑になるころだろう。

 自分が歌集を出すなら、読まれるものであってほしいと思う。
 何を当たり前な、という話なのだろうけど、しみじみそうおもう。自分の本棚に並ぶ、買ったものの読めていない背表紙、書店に並ぶ、買われないままの背表紙。並ばなくなる背表紙、並ばない背表紙。読まれるものであってほしいとおもう。
 歌が良ければ読まれる、と言えば当然のことかもしれない。そのために俺は良い歌をつくれる人間でありたい。俺がうまくないばかりに、俺の歌たちが読まれない、それは歌たちに申し訳ない。でも、俺には俺で、公私に忙殺される生活もあるんだよな……分かってくれとは言わないが……。

 昨年2023年のエイプリルフールに、第一歌集を出しますというジョークツイートをした。
(↓ぼくが鍵アカウントでなければここにそのツイートが出ます)

(↑ぼくが鍵アカウントでなければここにそのツイートが出ます)

 このツイートがおよそ100ふぁぼ、そのうち前向きに試算して3/4くらいの方が実際に買ってくださるとして75。そのほかに結社等でお世話になっている方々に謹呈で、全然想像もつかないが、50くらいとしよう。また、全国流通してもらえたとして、まあ縁もゆかりもなく置いて下さった書店で縁もゆかりもなく買ってくださる方が、2都道府県に1人くらいいらっしゃるとして、キリよく25。計、150。
 いまのぼくが歌集を出したとして、手元在庫も残すとしたってまあ200冊もあればおそらく長きに渡り余ることになる。200冊。あまりにも、歌たちに申し訳なく感じる。同人誌『手稿録』も第二刷まで重ねて計何部になったのか全く覚えてないが、200は無いだろう。あの手軽さ、あの同人が集って、それでもまだちょっと余っている。ちょろちょろ減りつつだが、まだうちの本棚の最下段に何冊か居ついている。
 まあ具体的に何冊ならいいのか、という話になると困ってしまうが、ここで大事なのは"200冊"という具体の多寡以上に、"N冊より上が期待できるかも"という前向きさ、ワクワク感でしかない。歌集のほとんどが自費出版で出されることを思えば、採算は度外視で、自分にとっては、歌たちを水溜まりに送り出すことはしたくない。せめて琵琶湖であってほしい。別に俺がお金を出せれば500冊でも1000冊でも刷ってくれる出版社さんはいるとおもう。でもそういうことじゃないやんね。

 自作自註もたいがいやりたくないが、それにしても連作と関係のない話をしすぎた。第8回塔新人賞応募作「smooth」30首、せめてこのページの、インターネットの大海のなかで、ここまで読んでくれたひとには歌も読まれていてほしい。いま自分で読み返しても、いい歌だなとおもえる子たちもいくらかは居ます。まあぼくが成長していない証なのかもしれませんが……。
 それから6年後、第14回塔新人賞応募作「遠さの単位」30首。6年前と同じく予選通過でした。まあ違うことと言えば、予選は各審査員が1~6位まで選んだ上から6~1点になったという点ですね。5点でした。ありがとうございました。候補作は6点以上なので及ばず、悔しい。候補にならないと選考会で話してももらえない……(選んでくれた審査員からのコメントくらいは載せてほしいです)
 いつか公開するかもです。個別に連絡もらえれば間違いなく開陳します。

 うちの子たちをよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?