チーム小判鮫10周年に寄せて

2020年9月23日。思えばこの日が特別な日になるとは思ってもいなかった。


2010年9月23日。きっかけは何のことはない1本の生放送だった。この放送を覚えている人ももうほとんどいないだろう。というかいたらぜひまた僕に教えてほしい。

私の中では実家からの通学によって外遊びもほぼすることなく、ネットの中で遊ぶ1界隈に過ぎなかった。もともと人との接点を多く持つことよりも自分がどのように突き進むかを考えてきた男だ。元気よく遊べて何か生み出せたら。自分の中ではそのくらいの関係性でしかなかった。

就職すると同時に一度このチームはお休みになった。この時もきっかけは私にあったと思う。表向きは就職や動画作成時間の問題ではあったが、とかくエネルギーと同時に燃料を生み出しやすい体質だったこともあり(今も変わってねえじゃねえか)、しばらくゲーム実況界隈からは遠ざかっていた。

数年たったそんなある日、ボスのすせるあから声がかかる。

「とら~ぬさん、今度新しくチャンネル作りたいんだけど、何か案はない?」

これがきっかけで生まれたのがこの動画である。

さかのぼること2年前、2018年11月の出来事である。ボスことすせるあとはこの時初めてリアルで遭遇した。

とら~ぬは人生において1つ大きな目標としていることがある。

それは「10年細く生きるよりも1年を太く生きて、その分生きた証を沢山遺すこと」。この目標にそぐうことなら当然協力は惜しまない。私はすぐに飛びついた。

生きた証を遺す。そのためには少しでも自分が大きくならないといけない。この動画ができたときもそう思っていた。「動画見たよ」の一言にどれだけ励まされたか。そうして空回りすることも多々あったが・・・。

この動画がまた引き金を生む。現在運営を買って出てくれている会長の存在だ。久しく連絡が取れていなかったのだがなんと7年ぶりに連絡が取れた。

夏のゲーム実況祭りを経て、ついに10年目の再集結を果たしたのが2020年の春。

石川県金沢を旅行した様子である。後編の中盤を見てほしい。

「あぁ~・・・楽しい」

人生で心からこの言葉を言えたことが今までに何度あっただろうか。

全身に生傷を作りながらがむしゃらに励んだ剣道や、パスポートを落として途方に暮れた海外旅行達、競技麻雀での対局、そのほか各種活動・・・

思い返してみてもそう何度もあっただろうか。とにかく、そのくらい心底この言葉を言えたのである。私の偽らざる本音なのだろう。

勝負事の世界で「楽しい」という感情を得ようと思ったら一定以上の勝利が必ずついて回る。目の前でメダルが投げ飛ばされたり、負けたことで壁に向かって正座で3時間黙想したこともある私にとって、勝負事で負けるということは「受け止めること」ではあっても「受け入れること」ではないのだ。

くらべてこの旅行ではそんなことも考えない。0から計画して1つの作品を作り上げる。気の合う仲間とただ単にぶらたとする。それがこんなにも楽しいことだったとは。社会人になって独り暮らしをして長年忘れていた感情だったことをふと思い出した。

そんなこんなである意味再結成となったチーム小判鮫。

1本の生放送が何年も経ってから1本の動画を生み、その動画から数年越しに集結する。こんな出会いもあるのだな、と思い返す。


チーム小判鮫は不思議な界隈だ。

職種も年代も出身地も職業も大きく異なる。そして最年長である私が一番子供のような性格をしている。

ボスことすせるあは仕事で培った編集技術をいかんなく発揮し、先述のような動画を生み出している。動画の基本構成はほぼすせるあの仕事だ。

隊長ことクラレスとは歳も近く活動休止前にも一度会ったりしている。音楽関係に長けているし、運営ツイッターも買って出てくれ、動画や生放送内での仲裁やコメントさばきは目を見張るものがある。

お笑い奉行ことなては基本の口数こそ少ないがコメントにそつはないし、彼自身も動画作成や生放送の経験が十分あるのでポイントを押さえるのが非常にうまいと思う。

・・・さて、私はどうだろうか。ただ単に無駄にテンションの高い厄介者になってはいなかっただろうか。年上だから前線に出て引っ張っていかねばならない。それが当たり前だと思っていなかっただろうか。

そのとどめが2020年9月20日夜に放送された記念生配信だったのだと思っている。

結論から言えば、私は完全に常軌を逸していた。引継ぎ地獄の仕事のストレスと麻雀修行やネタ作りによる睡眠不足で脳が停止している身体に元気な時でもまあまあ怪しい量のアルコールを投入したのだ。それをよりにもよって(ほぼ身内とはいえ)他人の生放送でしでかした。深夜0時を回ったあたりからのテンションは正直思い出したくもない。

視聴者の皆様、そして関係者の皆様には大変不快な思いをさせてしまって申し訳ない。この場を借りて深くお詫びを申し上げる。

・・・またぶち壊すのか。お前はまたしでかすつもりなのか。休みの後半2日辺りはそんなことばかり考えていた。

運営の決断はこうだった。

「ひとまず4人での活動はしばらく休止」

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ある種当然の決断でもある。さすがにあれがネットの波に乗ったのは完全に事件としか言いようがない。

これまでチーム小判鮫としては様々な「作品」を生み出してきた。今現在進んでいるプロジェクトも存在する。実際にチーム小判鮫で撮影した動画はまだまだ何本も残っている。

運営は言った。

「今は小さいチームかもしれないけど今後大きくするための過程でもある」と。

チャンネル登録者が100人もいれば騒がれていた小さなゲーム実況界隈も今や10000人クラスが数多ひしめく巨大市場になった。有名人がゲーム実況をすればあっという間に再生回数が伸びる。陰キャが育てた畑を陽キャが食い荒らす世界はいつの時代も繰り返すのだな、と思ったものだ。

チーム小判鮫自体もあの生放送からずいぶんの時が経過した。全員学生だったのが一人残らず社会人になり、各自多くのスキルを得てきたと思っている。

10年前よりさらに強力になったインターネットという名の荒波におじさん軍団、チーム小判鮫が4人で再びゆるやかに挑む様子をまたさまざまな「作品」という形でお届けできたら良いと思っている。

今の私のチーム小判鮫での目標は「チーム小判鮫イベントでライブハウスを1個埋めること」である。

最後に僕がエネルギーを起こすときに口ずさむ言葉を添えておく。

できるかできないかじゃない。やるか、やらないか、だ。


2020/9/23

チーム小判鮫リーダー

とら~ぬ

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