とら~ぬの考える恋愛論

・・・随分と酷いタイトルで始まりましたが、今回は普段私が話しても全く共感されない話の1つ、私の恋愛論について簡潔にまとめておきたいと思う。

とら~ぬの恋愛に関する持論、それは

恋と愛と性はすべて別のベクトルである

である。・・・改めて文字にするとひどい文章だ・・・。とはいえ、これが持論なのであるから仕方ない。以下順に簡潔に説明していきたいと思う。

1.恋のベクトル

まず恋のベクトル。恋のベクトルは簡単に言えば「相手のプラスしか見えない状態」を指す。「恋は盲目」とはよく言ったもので、相手の長所というかよいところ、言い換えればポジティブな面ばかりを楽しんでいる状況である。恋愛はこの時が一番楽しい・・・らしい。「らしい」と書いたのはベクトルとしては理解できているからであり、それなりに失恋もしたことがある身としては何となく自分がそんな状態だったなと回顧したくなるからなのだろうか。

2.愛のベクトル

次に愛のベクトル。愛のベクトルは簡潔に言うと「相手のマイナスも受け入れられる状態」を指す。プラスな面を追いかけるだけでなく、相手の欠点を理解したうえで、それを受け入れたり、ともに直したり・・・といった状態のことである。ま

また、「同じ目標や現実を共に見ていられる状態」もこのベクトルに入ると考えられる。お互いの様々な側面を受け入れながら、同じ目線で一緒の目標を見ていられるのもこのベクトルな印象である。自分が回顧してこのベクトルに入ったことがある人は・・・いたようないなかったような・・・。しかしこの感覚の時間をひそかに楽しむのが人生で楽しい時間の一つだとは思う。最近は・・・うん。

3.性のベクトル

そして最後が「性のベクトル」。このベクトルは簡単だ。「欲求に忠実な状態」である。アイドルやAV女優に対して興奮するのもある種こちらのベクトルだと考える。セフレを持ったり、言い方は悪いが不倫したりするのもこのベクトルに属している人たちがいるからなのではないだろうか、と推察している。

このベクトルの付き合いをするのであればある程度打算的でないとならない。欲求を満たすだけ、というか下手に情を持たないようにするというか・・・。ある種割り切りがちゃんとしているかどうかという点になると思う。

4.すべてのベクトルが合致する人はおそらく存在しない

さて、ここからが難しい。一番良いのはこの3つのベクトルがすべて合致する相手が見つかることである。しかしながら正直なところすべてのベクトルが合致する人はおそらく存在しないと思っている。「おそらく」と書いたのはいることはいるのだろうが、というやつである。

そもそも言えば恋のベクトルと愛のベクトルが合致することからが難しい気がしている。基本的にマイナスの部分が見えると恋は冷めやすいという点にある。

「青春の影」にこんな一節が出てくる。

愛を知ったために涙がはこばれて

君の瞳をこぼれたとき

恋のよろこびは愛のきびしさへの

かけはしにすぎないと

恋から愛への変化は意外と難しい。恋の熱があるうちに愛に火がつかないと長くは続かない。

ここに挟まるのが性のベクトルである。表現が難しいが、全くなくても恋と愛は続かないのだろうが、ありすぎても恋も愛も続かない。このくらいの認識で良いのだろう、という風に考えている。


・・・こんなこと考えてるからモテねえんだろうなあ・・・

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