「普通」の呪縛
「初恋、ざらり」ってドラマ皆様ご存知だろうか。
小野花梨さんと風間俊介さん主演の恋愛ドラマ。
お察しの通り、私は斜に構えすぎた性格なもんで、恋愛ドラマにはこれまで一切興味がなかった。というか、ドラマ自体そもそもあんまり見ない派。
見たことあるドラマといえば、半沢直樹、リーガル・ハイ。最近は家族が見てるVIVANTをうっすら横目で見る程度。大河ドラマも真田丸くらいしかタイトルが思いつかない。全部堺雅人主演。堺雅人オンパレード。堺雅人の独擅場である。
いつぞや友人に「お前の今のメンタルで勧めていいのか分からんけど見てみて」と言われたので時間を持て余した休職中(≒無職)の私は、律儀に1話ずつ観ていく事にした。
まあ、これが、もう、ね。
観てる人いたらわかるよね。
とにかく小野花梨さん演じる有紗ちゃんが可愛くて可愛くて仕方ない。
今すぐ「あ〜大丈夫大丈夫おばちゃんが飴ちゃんあげるから泣かないでええええ」と助けに行きたくなる。
そして風間俊介さん演じる岡村さんよ。あんた罪な男だよ。優しすぎるって。
あんなに無条件で優しくされたらそりゃ惚れるって。あの虫も殺したことありませんみたいな優しさで煙草吸ってんのは有罪だろ。普段は煙草吸う男の人に魅力は感じないのだが、あれはギャップ。沼。底なし沼。
という感じで人生初めての恋愛ドラマに情緒を振り回されている訳である。
今まで「どーーーせ美男美女の間に間男のイケメンが入ってきてどうしよう🥺みたいな勝ち組にしか味わえない贅沢な悩みを抱えつつ最終的にくっつくんだろ」と観もせずにパターン化し、偏見しか持たなかったことを深く深く反省している。いやでも贅沢すぎんだろ。どっちか寄越せよ。綾野剛でもいいよ。むしろ綾野剛がいいよ。
観る前に、勧めてきた友人に恋愛ドラマのヒロインは贅沢すぎると偏見を捲し立てると「お前は湯婆婆か」「斜に構えすぎ」「ピサって呼ぶぞ」と倍返しをくらった。
で、なんでこんなに感情移入してるかというと。
少しだけ、ほんの少しだけ自分と重なる部分があるのだろう。
ドラマの中の有紗ちゃんは軽度知的障害。
生活する中で大変な思いはしていると思う。
自分はADHDで、ぱっと見分からない。割と一緒にいる人達に打ち明けた時も皆「全然分からんかった」と口を揃えて言う。
全然分からなかった、は私にとってはいわば褒め言葉である。
小さい時から集団行動が苦手で「小学校の休み時間クラス全員で遊ぼう」みたいなやつには参加してるフリだけして鉄棒の端で蟻を数えていた。
また、他の特徴といえば、思考の飛躍、エンドレス連想ゲームと言ったら分かりやすいんだろうか。
常に視線が動き、電車の中の広告や何度も何度も見たシャンプーの成分表示、文字がそこにあると常に目で追ってしまう。誰かと話をしている時でも、そこに例えばお菓子があれば「これジャガイモが主成分かあ、そういや今価格上がってるよなあ、1845のジャガイモ飢饉の時のアイルランドの物価ってどうなってたんだろ、後で調べとこ。アイルランドといえば留学行ってる友達元気かな!今日帰ったら連絡しよ!!」と頭の中で凄まじい連想ゲームを一人で繰り広げ、元々誰かと会話していた内容が分からなくなる。
これが理解ある人との会話ならいいものの、グループワークとか集団での会話になるとまあ、酷いもので。
元々皆で話し合っていた内容から一人離れてしまい、いざ意見を求められると「……?」となる。自分の意見を発するタイミングもよく分からず、どうにもこうにもコミュニケーション、会話というものが苦手になった。
また、片付けや時間の配分が物凄く、物凄く苦手である。何分前に用意したら間に合う、と計算しても、準備の途中で先ほどの連想ゲームが邪魔をして全然間に合わない。
勿論、宿題も間に合わない。というかやってない。夏休みの宿題を全教科提出日に出せたことなんぞ一回もなかった。何をするにもギリギリで生きていて、KAT-TUNって渾名をつけられたこともあったっけ。
さすれば自然と「あの子変わってるから」「せっかくみんなでやろうって言ってるのに」「天然ぶるな」と周りも思うようになる。教師からも同級生からも嫌われ高校に上がるまでは散々な学生生活を送った。とほほ。
高校に上がってからは人生が変わったが、それはまた追々。
去年ADHDの診断を受けて、ショックもあったが何よりも「良かった」と安堵したあの瞬間が頭から離れない。
みんなが普通にできることが自分にとってはどうしても苦手で、でもなんで出来ないのかが分からず、社会に馴染めないままだった。
その原因がはっきりわかったことで、「自分は人一倍時間かけて努力しないとできない」と意識を持てるようになった。
よく多様性だとか、障害のある人に優しくだとか言うけれど、どう足掻いても社会の仕組みは多数派に照準を合わせて構成されている。
例えば私は左利きで、改札やレストランのスープバーにおいてあるレードル(お玉)等々にこの22年間翻弄されているが、改札に左利き用ゾーンが設置されることはまず無いであろう。
障害がある人も生きやすい社会を作るということに異論はない。
ただ、私自身が、ADHDを言い訳にしたく無いだけである。私の周りは度が過ぎて優しい人達ばかりだから、苦手なことは手伝うよと言ってくれる。本人達は気づいていないかもしれないが、もう十分すぎるほど手伝ってもらってる。
「ちゃんとしろ」
「なんで当たり前のことができないんだ」
「普通考えたら分かるだろ」
そんな言葉の数々に縛られ、追い詰められていたから、途中で言った「ADHDだと全然分からなかった」は私にとっては褒め言葉だ。
ちゃんとできている。みんなと同じように、みんなが当たり前にできることになんとかついていけている。そう思えるのがとても嬉しい。
ドラマの話に戻ると、「普通」になろうと、みんなと同じようにできるようになろうと努力してる有紗ちゃんの姿がどこか自分と重なって、苦しくなる。
そして岡村さんが支えてくれてる様子を見てこれまた号泣。
観たら泣くのわかっていても、やめられないんですよこれが。
自分の話ばかりになってしまったが、とにかく。観てない人は是非。
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