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さよなら / ブキティンギ(8)

2003/09/04

朝、礼拝の呼びかけで目を覚ました。

学校の向かいには小さなモスクがあり、日に五回、板ガラスの窓の隙間から澄んだ歌声が聴こえた。アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル。

今日これから起こるすべてのことは、どれもみなここでの最後の出来事になる。日本語の授業も、リスマール先生と進める参考書のレビューも、生徒たちとの穏やかな語らいも。

暁のアザーンを聴きながら薄明かりの中で身支度をした。頬にかみそりを当て、歯を磨き、震えるほどの寒さの中で水シャワーを浴びた。濡れたタオルを窓辺に広げ、代わりに乾いたTシャツや下着をリュックサックに詰め込んだ。

この部屋でずいぶんと長い時間を過ごした。授業準備も、日記をつけるのも、ギターを弾くのも全部この部屋だった。朝食も、時には夕食もこの部屋で済ませた。近くの食堂でライスや副菜をひとまとめに包んでもらって持ち帰ったり、ベーカリーでドーナツと豆乳を買って本を読みながら齧ったりもした。

今朝もまた競技場脇の屋台で野菜粥を注文し、並びの店で揚げ豆腐を買った。別の屋台で温かなミルクティーをビニール袋に入れてもらい、ほのかに伝わる暖かさを腕に抱いて部屋へ戻った。

午前中は日本語クラスの授業がふたつあった。上級コースと初級コースが各九十分。昨日までとは違い、今日はどちらのクラスでも新たな文法や用法に触れることはなかった。「授業の最後に、どうか日本人の受け止め方についてみなさんに話してあげてください」と、リスマール先生からリクエストを受けていたからだ。

正直なところ、何を話せばよいのかぼくには分からなかった。日本人の受け止め方とはいったい何を指すのだろう。もちろん言葉通りに捉えて一般論を語ることはできたかもしれない。でもそれを、ぼく自身の思いとして伝えることはできなかった。

ぼくもまた連鎖する差異の中の曖昧な諸相のひとつだった。時に危なっかしく、時に光へ向かいながら、今というあやふやな足場に立っているだけなのだ。

生徒たちにとっては、これほどの日数を共に過ごした初めての日本人講師だった。ぼくの一挙手一投足を通して、彼らの中の日本人像が決まってしまうこともあったはずだ。習慣や文化的な違いから、様々な場面で誤解やすれ違いもあっただろう。結果的に、ぼくと彼らのギャップを際立たせてしまったことも一度や二度ではなかった。

ひとつでも多くを学び取ってもらいたい。あるいはそんな意気込みが空回ってしまったこともあった。ぼくの解説は時に彼らを混乱させ、不安にもさせた。彼らが求めていたのは知識だったが、ぼくが伝えたのは言葉の曖昧な世界そのものだった。

そんな話をリスマール先生と一緒に生徒たちに伝えた。彼女は穏やかに笑って、こんなことをインドネシア語で生徒たちに語りかけた。

「みなさん、タイラ先生が教えてくれたのは言葉の世界です。私たちはまだ知識を覚えることで精一杯ですが、このまま勉強を続けて、いつか世界を理解できるよう頑張っていきましょう」

ぼくはリスマール先生にお礼を述べた。あなたがいなかったらこんなふうに授業を進めることはできませんでした、と。それからふたりで「お互いたくさん間違えましたね」と顔を見合わせて笑った。

人は誰でも、すれ違いや間違いからしか深く学べないのかもしれない。その痛みがなければ、誰かを受け止めたり、理解したり、愛したりできないのかもしれない。それが、何者でもなく、ぼくらがただの人間同士だという証なのであれば。

ぼくはホワイトボードにインドネシア語でこんな文章を記した。

 Setiap orang berbada, tida ada manusia yang sempurna.
 Kita semua belajar melalui kesalahan dan kesalahpahaman.
 Seperti anda sudah ketahui, cahaya tidak ada tanpa kegelapan.

 人はみんな違うんだ。完璧な人間なんていない。
 ぼくらはみんな失敗や誤解から学ぶんだ。
 もう知っているはずだよ、闇がなければ光すら存在しないことを。

そう書き記し、ゆっくりと声に出して読んだあとで、生徒たちに向かってありがとうを言った。心を込め、こうして出会えたことすべてに感謝の気持ちを伝えた。ありがとう。みんなに出会えて、本当に、本当に嬉しかった。

一人の生徒が突然すすり泣きをはじめた。その途端、教室中に彼女の涙が伝わった。一人のすすり泣きはみんなのすすり泣きになり、やがて、ぼくらを包むすべてが涙の湿り気に変わった。

両目を潤ませながら、生徒たちは何度も寂しいと声に出した。つたない彼らの日本語が、他のどんな言葉よりもぼくの胸を強く打った。「先生、寂しいです。寂しい、寂しい」

彼女たちの涙に包まれ、ぼくも知らずに涙を流していた。ホワイトボードの前に立ち尽くしたまま涙が止まらなかった。ごめんなさい。本当にごめんね。この別れを、今のぼくにはどうすることもできない。

もう二度と、彼らに出会うことはないだろう。もう二度と彼らと言葉を交わすことも、この笑顔や涙に触れることも。

言い訳のようにこんなことを思ったりもする。ぼくは彼らの心の中に小さな一歩を残せたのではないか。もちろん、胸に置かれた足型に自らの足を重ねて歩き出すのは彼ら自身だった。

そしてそれは、ぼくにとっても同じことだった。

彼らからもらった大きな一歩を胸に思い描いた。言葉を超えた温かみと、誰かを思うしなやかな強さについて。いつかその足型を頼りに、ぼくもまたこの足で前に進んでいかなければならない。

彼らの人生が実り多きものであってほしいと心から願った。完璧な人間なんてどこにもいない。だからこそ大切な誰かを思い、守りたいと願いながら、ぼくらは生きていくしかないのだろう。

さよなら。愛を、すべての手のひらに。

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