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本来性と暴力

いじめを笑い話にしてる人が有名なミュージシャンでいられるってのは暴力的な男であることがある種の良い評価になる空間があったってこと。

偽善的なNHKの番組を茶化す笑いを機能させるためにホロコーストの事を残虐性の極として使ったのも人は「本当は暴力的である」事を暴き立てるための仕掛けだ。

それを前提にすれば、人間は本来暴力的であるという事は共有されており、倫理や秩序、人工的な規則やある種の企図のもと行われる作為的な学習よりも優位で本来的なものという認識がありそうだ。

率直であり、素直で、直裁的なことは裏を返せば稚拙で幼く、非論理的。暴力的であることが社会的な秩序から難しくなると暴力的でいられるのは芸術に携わることやスポーツに関わること以外にないかもしれない。直感が幅をきかせる類のものだからだ。暴力的という本来性を保つことが許される空間は間違いなく男たちが作ってきた。暴力的あることが本来性と結びつくのは男性優位社会が続いている証拠だ。「本当は暴力的ある」という長い間共有された認識を振り払い、直感や繊細さがより広い意味を持つ事はあり得るのだろうか。

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