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あなたの知らない物語 序章

1980年代後半、ちょっと特殊な学校の、ちょっとおかしな青春の記録。
結構きわどいところまでさらして書く「ノンフィクションだけど、気分は青春小説」な一遍です。しばしお付き合いを。


はじめに


 歌手の中島みゆきさんはかつて、「1回フラれたら100曲書ける」という名言をおっしゃいました。
 漫画家の高橋留美子さんは、「体験してなきゃ傑作が描けない人は、才能がない」と一刀両断。
 イギリスの作家エミリー・ブロンテは、割と閉ざされた感じ短い生涯の中で、あの『嵐が丘』をものしました。

 実際それが創作者というものなのでしょう。

 ジョージ・オーウェルがエッセイの中で「根無し草のような人生を送っている人の書くものは薄っぺらい」という趣旨のことを書いているのを読んだこともあります。創作者とは――とか言っておきながらアレですが、これはこれで納得のいく意見でもあります。

 というよりも、しっかり地に足のついた生活をしているからこそ、体験の数そのものは乏しくなる可能性もあります。オーウェル自身は警察官勤務経験がある一方、ルポ記事を書くための放浪生活の経験もあるので、十分過ぎるほどみっちりした生涯だったと思われますが。

 そんなこんなで、「長い割に人生経験の乏しい私」にしか書けないものを書いてみたいなと考えて、18歳から20歳までの2年間を過ごした、ちょっと変わった学校生活について書いてみようと決めました。

 ついでに思い出したので。 『ラジオ深夜便』(NHK)の夢枕獏さんインタビューで、非常に感銘を受けた話があるのです(音源は2021年10月27日の「アーカイブス」のものなので、実際にはもっと前のものでしょう)。せっかくなので、できるだけ忠実に起こしたものを、次ページにてご紹介いたします。

『ラジオ深夜便』夢枕獏さんインタビュー抜粋


『ラジオ深夜便』における夢枕獏さんのインタビューからの抜粋。
こちらで書き起こした部分の総時間数は5分弱でした。
最低限の整文はしてありますが、できるだけ語り口を残すように努めました。

『そもそも夢枕さんが作家になろうと思ったのは、お幾つぐらいなんです?』

夢枕:なろうと思ったのは10代の頭ぐらい。多分、中学生のときに作家になろうと思ったと思うんですね。ただぼんやりと話を作り始めたのは、本当に幼稚園というか、字も満足に覚えていない頃。

 うちの親父に寝る前にいつも話をしてもらっていた時期があって、そうすると親父は、適当なところで、子供が寝ると思って話をしているんですけど、まあ寝ないんですよ、僕。それで「はい、これで終わりました」と言うと、「その続きは?」って僕は必ず聞くんですね。主人公死んでいるわけじゃないので、じゃ、どうしたのと。そうしたら「寝て、起きて、また寝ました」なんて言うと、「え? じゃ、その次は?」とこう聞くと、うちの親父が「もうない」と。

 「じゃ、僕がその続きをやります」と言って、僕がその後親父に、その続きの話をしていたのが、僕が一番最初に――字を覚える前に、そういう物語を作っていたというのがあります。だからその影響で、11か2ぐらいのときに、もうちゃんと小説家になろうと思って字を書いていましたね。

『デビューしたときは20代。』

夢枕:26、7だったと思いますね。それまではずっと、いわゆるお金がもらえない同人誌で書いてきたんですね。同人誌でやっているときは、自分でお金を出して(笑)、印刷所に刷ってもらって、まあ仲間と一緒にやるんですけれども。当時はもういろんな同人誌でやっていたんですけど、純文学の同人誌はやっぱり驚いた事件が幾つかあって。

 当時は大体、合評会というのがあるんですよ。みんなが同人誌で書いた話をみんなで読んで批評し合うんですけど。そのときに僕なんかは、純文系のね、今の僕の年ぐらい、60超えたおとうさんたちの中で、まだ10代の僕が言われるんですよ。「お前は一体、どういう原点を持っているのか」とかね。

 「え? 原点って何ですか?」なんて聞くと、「俺は戦争の後の焼け野原であると。それが俺の原風景だ」と言うんですよ。自分の原風景――そういう意味で言えば、太刀打ちできるようなものは何もないなという。で、「お前のは坊ちゃん文学だ」とかね。いっぱい言われましたね、いろんなことをね。

 僕はもう自分で読んだ筒井康隆さんとか小松左京さんとか、星新一さんとか、ああいう面白い話を書きたくて書きたくて書いているんだけど、原風景の話をされたときに「ない」というのが分かって、結構当時はね、落ち込みましたよ。落ち込むというほとじゃないんですけど、そういう原風景がないものは書いちゃいけないのかなあってね。そういうような言われ方ですね。本当、「いや、すみません。ないんですよ」って言うしかないので、それでそういうのを潜り抜けてデビューしたんですけど。

 でも不遜なことに、僕、どの同人誌でやっていたときも、『自分が一番面白い』と思っていたんですね。面白いのを目指しているわけです。あちらは目指していないので。あとはいろんなエンターテインメントの同人誌もあったんですけど、自分が一番面白いって思っていたんですよ。

 でも、それは今思えばというか、26、7で最初の本が出たときに気が付くんですけど、たかだか多くて10人、普通でいえば5人か6人ぐらい世界の中で、ああ、自分が一番面白いと思っていただけで、最初の本が店頭に並んだときに見にいったら、横に並んでいないんですけど、同じ本屋で似たような空間に、僕の大好きだった筒井さん、小松さん、星さん、光瀬龍さんとか、いろんな人の本が並んでいて、そこに僕のも並んでいるのを見たときに、僕は初めて、『ああ、俺が一番駄目だ』って自覚しました。それはびっくりしましたね、やっぱり。現実って恐ろしいですよね。自分の本が、僕が好きだった作家の皆さんと同じ棚に並んでいるのを見たときに、やっぱり、ショックですよ、それは。『ああ、駄目だな、俺』って思いましたもんね、そのときに。

『それで、どうしなきゃいけないと思われたんですか?』

夢枕:それはもう、答えは決まっていましたので。一番最初に分かったのは、僕の周りに頭のいいやつがいたなというのはあるんですね。しゃべると論が立って、いわゆる文学論を語ったときに、すごいことを言うんですよ。でもね、「書かない」んですよ、その人たちは。ああ、書いた人間が作家なんだと分かったのは、僕、24、5の頃ですかね。その頃に、書かなきゃ作家じゃない。僕、ずっと書いていたんですけど。で、いつか本気を出そうと思っていたんですけど、『その本気はいつ出すの?』って思ったときに、『今でしょ!』(笑)

(この先、趣味で使っていたカメラを売り、自宅で2、3カ月、雨戸を閉めた状態で籠ってひたすら書いていた…というようなエピソードが続きました)


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