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Homecoming③

この度の伴侶に、二冊の本を鞄に忍ばせていた。一冊目はFスコット・フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」。主人公のギャツビーが、一人の女性に靱性まで賭けて、大富豪にまでのし上がってもまだ「オールド・スポート」と語り手に語りかける素っ気なさに陶酔しない読者はいないであろう。それに、ギャツビーは無垢さの象徴であった。何があっても愛する人へ全部を捧げる。自分もそうなりたいと初めて読んだときから思ったものである。

もう一冊は十三世紀イタリアのとある詩人による詩集だった。La Vita Nuova、和訳では新生と名付けられたこの本は、詩人の激しい恋がどのように彼を影響させてきたか、どのように新しい人生を与えてくれたかを綴ってあった。冒頭にはこう綴られている

「私の記憶にある、ほとんど読むことのできない本に「新生」という注釈がつけてある」。

わたしはこの本を読みながら、自らの「新生」について考えを巡らせていた。自分はこれから何回新しい人生を始めなければならないのだろうか。

相変わらず振り続ける雪の中をひたすら進むバスの中で、ダンテを読み続けていると、いつの間にか夢をみていた。不思議な夢だった。今まで関わってきた人々の顔が浮かんでは消えていく。最後にカナが出てきた。カナは、わたしの初恋の相手でお互い幼いながらも恋心を抱いていたが、わたしがアメリカに送られることになってその関係が引き裂かれてしまった相手である。その彼女を見たとき、今までの全ての自分の恋愛がまちがっていて、そのために自分の人生はまったく悲しみに包まれてしまったことをわたしは悟った。だがそれと同時にもうそれはすべてどうでもよく、新しい生活を手に入れていいということもカナは眼差しで教えてくれた。

ふと目を覚ますと、バスはエフィングハムという、イリノイ州南部の町に差し掛かっていた。ここでは確かトラックストップでの休憩だったな、と思い出し、シャワーを浴びれる可能性に期待を寄せた。

実はいままででシャワーを浴びれたのは1回きりで、それはニューメキシコあたりのトラックストップにてであった。他の施設が使えなかったのは、故障していたり使用中だったからだ。もう5日もシャワーを浴びてない計算になる。それは疲れが取れないに決まっている。

果して、バスはトラックストップに滑り込みセーフ、運転手が

「ここで休憩だ。」

と怒鳴る。雪はまだ止まない。わたしはバスを降りてサービス棟に入っていった。

つづく


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