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【英語】学習方法としてのシャドーイングに対する僕の意見

巷では、シャドーイングがあたかも sliver bullet であるかのように扱われていますが、本当にそうでしょうか。今回の記事では、学習方法としてのシャドーイングに対する僕の意見を紹介します。

※以降の記事内容は若干辛口というか、かなり本音を入れているので、ご容赦ください。

僕の経緯

僕は、シャドーイング添削サービスのシャド○ンを、1 か月だけやったことがあります。当時は僕も、「シャドーイングがいいらしい」みたいなふわふわした考えを持っていて、お試し的にこのシャドーイング添削サービスを利用してみました。そして、添削自体にも当初はまあまあ期待していました。

ただ、プロが添削します、とうたわれていたものの、like it を音源にあわせて「ライキッ」といいましょう、のような、音をカタカナで説明する(IPAを一切使わない)という、僕にいわせてみればプロとはとてもいいがたいような説明ばかりで、非常にげんなりしました。ほかにも腑に落ちないというか、なんだか期待外れだったところもあったため、すぐにサービスを解約した次第です。

シャドーイングとはいったい何なのか

スピーキングとリスニングは本質的に等価で、スピーキング(気持ちを音にして表現)の逆再生がリスニング(音を気持ちに逆変換)です。※以降ではスピーキングとリスニングをすみ分けず、音を介した意味伝達という言葉で説明します。

そして、音を介した意味伝達を達成するには、音と意味の自然なリンクが構築されている必要がありますが、ふつうの人がシャドーイングをする場合、

  1. 連続的に流れてくる音そのもの識別する

  2. 短期記憶にその音を置いておく

  3. 記憶した音を再生する

という作業を、同時に実行する必要があります。これはとてもしんどい作業、というより単なる苦行です。このことについては以下でもう少し説明します。

シャドーイングの問題点

シャドーイングで行う作業:

  1. 連続的に流れてくる音そのもの識別する

  2. 短期記憶にその音を置いておく

  3. 記憶した音を再生する

を再度取り上げて考えます。まず、このうち 2 番目の「短期記憶にその音を置いておく」と、3 番目の「記憶した音を再生する」いう操作はそもそも必要ありません。くどいようですが、英語の運用とは本質的に気持ちと音の往復であり、音を音のまま記憶に保持する作業、およびその音をまた出す作業はまったく介在しません。シンプルに、やる意味がないということです。

要するに、シャドーイングで行う 3 つの処理のうち 2 つが、実際の英語運用でまったく関係のない無駄な作業になっています。関連性があるのはせいぜい 1 番目だけで、しかもこれは、意味を介在しない(音を識別するだけ)なので、まったくかすっていないわけではないですが、全体としてみた場合の学習効果は薄いです。

シャドーイングをやったことがある人で、「何をやっているのかよくわらかない」という感覚になったことがある人がいると思いますが、その感覚はあっていて、実際、何だかよくわらかない作業をやっていることになります。

さいごに

ここまでで、シャドーイング=なんだかよくわらかない作業であり、英語運用の肝である音と意味の関係性構築にまったくかすっていないことを説明しました。シャドーイングのように複数の作業を同時にこなす必要性はまったくなく、もっと簡単な、要素分解された作業をていねいにこなす方がずっとラクですし、意味があります。

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