見出し画像

重湯と味噌汁の上澄みと卵豆腐と

 

 七日ぶりのご飯は、重湯と味噌汁の上澄みと卵豆腐だった。お椀の蓋を開けた時、誰かの食べ残した食器が間違えて配膳されたのかと一瞬疑った。そう思ってしまうほど少量のお粥と味噌汁がよそられていた。

 原因が分からないまま、布団の上で呍々と唸っていた。思えば朝から気分が優れておらず、下腹部には今まで感じたことのない違和感があった。時間が経つにつれその存在感は増してゆき、どうにも無視できなくなったので早退申請をした。当日中に手を付けるべきだった残務に後ろ髪を引かれつつ、朦朧としながら自宅に辿り着く。もしかしたらこの違和感は締め付けの強い新しい下着のせいかもしれないと思い、衣装ケースからゆるゆるの下着をひっぱり出して履き替えてはみたが、そんなに関係はなかったようで、痛みが引く気配はなかった。
 
 帰宅した夫は、電気もつけずに寝床でへたる私を見つけてギョッとした様子だった。体調不良の旨をあらかじめ夫に連絡する余裕もなかったので驚くのも仕方がない。「今から病院に行く?」と聞かれたが、私は首を横に振った。病院に行くには大げさすぎるような気がしたのだ。しかし今から思えばこの時病院に駆け込んでいても十分な状態であった。
 
 翌日の昼、痛みに耐えかねて救急車を呼んだ。救急車のサイレンがこの日ほど安心する音として聞こえたことはない。ふらふらとしながら夫に「やっぱ病院いく」とメッセージを送った。車輪付き簡易ベットから伝わる振動を身体で受け止めながらぼんやりとしているうちに、近くの病院に到着した。問診やら採血やらエコーやらを終えて、その場で入院することが決まった。

 入院するための同意書を夫が代わりに記入してくれている。私からのメッセージを見て、会社を早退し病院まで駆けつけてくれたのだ。申し訳ない。こんなことになるなら昨日のうちに医師にかかるべきであった。
 
 あの違和感のある痛みの原因は、大腸の炎症によるものだっだ。幸い手術する必要は無く、抗生剤の投与だけで治療できるが、もしあの日我慢して放置していたら炎症部位が破裂して死に至っていた可能性がありますと医師は淡々と言っていた。炎症が起きた明確な理由については不明であるが、過剰なストレスが原因の一つなので、とにかくストレスを溜めないようにとも言っていた。今の私にはストレスを溜めないようにすることなどできないだろうにと思いながらも「はい、そうしてみます」などと良い返事をした。
 
 

 入院三日目、私のお腹は全くすかない。抗生剤と胃の薬、それから生きるために必要な栄養も点滴だけで賄っている。朝から晩までずっと腕から管がついているので邪魔だと思うことはあるが、栄養剤のお陰で血糖値は下がらないので、脳が「オナカスイタ、ナニカ食ベヨ」と指令を出してくることもない。水だけ飲んでればいいというのはむしろ楽であるという事実を知る。
 SF小説などによく登場するアンドロイドは食事を楽しむことが出来ないことで人を羨んだりする日もありそうだよな、なんていままで思っていたけれど、案外そんなことはないのかもしれないと思い直した。むしろ機械的に電気エネルギーを摂取すれば済むのだからアンドロイドの方が人間よりきっと快適に暮らしているに違いない。
 

 入院七日目。私のお腹は相変わらず全くすかないが、どうやら今日から食事が出るらしい。
「今日から少しずつですけど食べられますよ。様子を見て大丈夫そうだったら点滴も外れます」看護師は口角を上げながら私から体温計を回収すると「良かったですね」とカルテに36.5℃と記入しながら言い、口角を上げたまま毎朝のルーチンも済ませ去っていった。静かになった個室でしばらくぼんやりしているうちに、久々の食事をそんなに待ち望んでいるわけでもない自分の感情に気づいた。
 
 その日のお昼、看護師が運んできたトレイの上には蓋付きの食器が三つ乗っていた。それぞれの蓋を開けてみる。最初に開けた器の中には、お粥の上澄みのような液体が半量ほど。一瞬何かの手違いかと驚いたが、調べるとこれは重湯という立派な食事なのだそう。次の器には重湯と大体同じ量の味噌汁。具のない薄い上澄みだ。最後の器には卵豆腐が一切れ。どこのスーパーでも三切れ二百円程で買えるゼラチン状の代物。普段なら副菜としてちょこんと置かれるが、本日に限っては堂々の主役だ。

 点滴の管と繋がっている利き手とは反対の手でスプーンを持ち、重湯を口に入れた瞬間とろりとした感触が優しく広がった。この感じは久々だ。味付けはほとんどされていないが、なんとも心が落ち着く。
 今度は味噌汁を一口。普段の味噌汁よりも薄いが、そこに確かに存在する塩味に私の脳は予想以上に感激しているようで、「美味イ。モット摂取セヨ」と指令を出してくる。
 脳の指令通りに味噌汁をもう一口すすった後、いよいよ主役の卵豆腐に手をつける。銀色のスプーンで優しい色合いを掬う。私の手の震えに合わせてふるふると揺れる卵豆腐をこぼさぬよう慎重に口に運ぶと、ひんやりとしてなめらかなうま味が伝わってきた。美味しい。文句なきおいしさに目が潤んだ。

 前言撤回。私はまたこうしていつも通り食べることを待ち望んでいた。味わうとは幸せだ。食べるとは喜びだ。


 おかげさまで回復は早く、数日後には点滴が外れ、食事も普通のご飯を食べれるようになり、無事退院することが出来た。この入院生活で起きた色々なこと――搬送時に担当医師やら看護師がコロコロと交代するが引き継ぎはなされておらず、五分毎に繰り出される全く同じ質問に痛みに耐えながら答えて苦しかったこと、ベテラン看護師と中堅看護師とで言うことが異なっており、大分振り回されたこと、体拭きとして渡されるおしぼりの滅菌が毎回しっかり行われておらず、臭すぎて使える代物でなかったこと、云々――で心は疲れたものの、普通に食べれるというありがたさに気づけたのは大きな収穫であった。

 数年経った今も、ふとあの時の病院食を思い出す。それほどまでに、重湯と味噌汁の上澄みと卵豆腐は私の感情を時折静かに揺さぶる。


 ⌘こちらの企画に参加しました⌘
うたたネさん主催のアンソロジー『最高の一皿』


ここまでお読みいただきありがとうございました。 いただいた御恩は忘れません。