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人を許す心。

つい先日、50代女性の方と話していた時に流れでその方のご家族の話になった。その女性は最近まで家事を一切されなかったとの話を聞いて詳細を伺うと理由はシンプルで衝撃だった。

「結婚したての頃、掃除をしたら足りないと言われた。料理をすると味付けが薄いと。洗濯物を畳んだら畳み方を丁寧にと。してもらってその言い草だったからだったら自分でやれと言ってそこから30年ほど家事をしなかった。」

30年間。30年もの間、ご主人の言い方が気に食わなかったのか、求められる基準が異様に高かったのかは定かではないが30年家の事をしていないと言う。

こんな衝撃は久しぶりだった。お互い後に引けなくなったのかもしれない。結論しか聞いてないので何とも言えないが相当ご主人の事が気に入らなかったのだろう。

ご主人とは数ヶ月前から別居中で、ご主人が1人で親御さんの介護をされてるらしい。介護を理由に別居したのは、彼女が貴方の親の介護はしませんと言い切ったからだ。

女性の方が恨みは強いと思う。出産直後の旦那の対応は一生許さないとの声も珍しくはない。男性は嫌だった事は忘れ思い出を美化する傾向がある。

この話を聞いて人を許す事がいかに困難かを考えた。仕事があまり手に付かなくなる程に。そこまで彼女を意固地にさせたものは何だったのか。

それでいてつい先日、とある方のnoteではご主人の介護をやり切った後にお嬢さんに向けた言葉は美しかった。「好きってだけで乗り越えられた。相手がどんな人間でも好きな人を選びなさい」と。

このエピソードの主張は、好きなものを大事にしなさいというありがたい定義だったのでこの話とは主旨が少しずれるが、それにしても同じような話でこうも違うのかと比較してしまった自分もいた。

当該の夫婦に何が起きたのかは当事者にしかわからない。ただ鍋にも洗濯機にも箒にも30年間触れず生きていく主婦人生ってどんな感覚なのか非常に興味がある。

人を愛し人を許す事は快適に生きていく上で優先度が高いと考えている。私は常に許しているが愛してはいない。なので今回のお話は愛があるかないか論争も関わってくると思うが許す心も同じくセットではないかとは思う。

許す事は女性には難しい。いつも選ばれる側だから。肉食系女子が存在するのも間違いではないが、基本的には男性が交際するかどうかを選別し人生の伴侶にするかどうかまで選ぶ。その判断が間違ったとして自己責任でしかない。


唯一のチャンス。

どうすれば女性が心よく人を許せるのか。何かのきっかけで人間の生死が関わる時にしかチャンスは訪れないと思う。人間は変わらない。変わらないけれど人の命が関わった時に初めて根本から考える事が出来たり自分を省みる機会が訪れる。

子供が産まれて変わったという話は聞かないだろうか。大好きだったおばあちゃんが亡くなって変わってしまったお子さんの話を聞いた事がないだろうか。

人がいなくなり二度と会えないという状況や、新たに誕生した存在に心が震えるという経験はそれなりの人があるかもしれない。その時にしか人は変われないというのが持論だ。


今回、お話を伺った女性も、極論ご主人がお亡くなりになれば初めて許せるようになるかもしれない。その時にご主人に許しを伝える手立てはもうないものの、それで彼女は救われる。肩の荷が下りるかもしれない。そこから彼女の人生の再スタートになる。


女性脳は感情型が故に、喜怒哀楽の残り香が男性の比ではない。ここを気をつけないと「そんな事で!?」というような内容で一生恨まれるかもしれないので言動には気をつけて頂きたい。



人を許す事は困難だ。

ただそれだけ信頼していた。

それだけ愛が深いというのもまた事実。

愛がないから私は誰の事も許してしまうのではと結論に辿り着いた土曜日、雨の午後。




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