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なぜ走るのか:単独100マイル走500メートル322周を経て思うこと

何を思って100マイルをひとりで走ろうと決めたのか、明確な思いや考えは、正直なかった。友人が100mils to AUBURNというオンライン企画を紹介してくれたのが直接のきっかけで、どうせやるならひと続きでやってみよう、というのが事の始まり。

でも、伏線は確かにあった。それは今年のウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)だ。

数年前に当時一緒に仕事をしていた人たちに2020年に開催されるUTMFに出たい、と宣言した。トレランを始めたばかりだったが、その魅力にすっかり取りつかれていた。最初のレースで、「これって登山やん!」と思うきつい体験をしてから、山での練習を本格的に始め、たくさんの仲間ができて、下山後の温泉&ビールがとにかく最高。

そして、準備万端で臨むはずだったUTMF2020。人生初にこだわってきた最近の取り組み中でも、ひときわ大きなチャンレンジとなるはずだった初の100マイルレース。去年の夏前からUTMF2020に焦点を絞って、けっこういろいろなものを犠牲にして、練習をしてきた。といっても、好きなことなので苦ではなかったけど。

「仕方がないよね」と頭で納得しようとしても、不完全燃焼のまま過ぎてしまった4月下旬の週末。そして、山を走ることさえままならない日々。ひとりっきりでの早朝のトレーニング。それでも走ることは楽しかった。レースだけを求めているのではないことは明らかだった。

では、なぜ走るのか。

朝ランについては、いろいろ持論もあり、その通りだと思うこともたくさんある。でも、例えば100マイルの山道を2-3日もかけて何故走るのか?なぜわざわざそんなに疲れることをするのか、というよく聞かれる質問には、自分でも納得のできる答えを持ち合わせていなかった。

「そうっすねー、達成感、そして、そのあとのビールが最高においしいから、ですかね、、、」

今回、単独100マイルぐるぐるチャレンジ(笑)を走り終わって、その答えがはっきり分かった。別にその答えを探して走ったわけではなく、走り終わったあとに突如やってきた答えだった。

それは心からありがとうと思うためなのではないかと。

ひとりで100マイル走ることは、体力よりも精神力というか気力が問われる。事実、スタート翌日の明け方にテントでの仮眠から覚めたとき、「もうおしまいにしよう」と思い、撤収の準備を始めかけた。その時に、どうせやめるならもう1周走ってみよう、と思い走りだして、結果として続けることができた。あの判断というか思いはほんとうに紙一重だった。

このとき僕に、もう一周!と思わせてくれたのは、これまたトレランを通じて知り合った大切な友人の一言だった。

「やめるのはいつでもできる。でも、続けるのは今しかできない」

走り始めるときは、期待でワクワクしていた。自分にとって、いろんな意味での再スタートになるという意味もあって、不安というよりはどこまでできるか、という期待の方が圧倒的に大きかった。

いろんなトラブルもあったけど、走っている最中は思考が研ぎ澄まされていく、頭から余計なことがパラパラと音を立てて落ちていく、といういつもの感じや瞬間がやってきて、充実した時間をすごせていた。

でも、足は動いているのに、いつもよりペースが上がらず、12時間を過ぎても80キロ近辺をさまよっていた。日中暑くて1時間ほどテントで避難していたのを除いても、正直イライラするペースだった。

この遅れを挽回しようと涼しくなった夜から明け方に頑張ったけど、それでも全くペースはあがらず、明け方には睡魔に襲われてテントで思い切って45分ほど仮眠。そして、「もうおしまいにしよう」と思った目覚め。

走り始めて少ししたころに定期的にサポートしてくれていた妻が食事を届けてくれた。この挑戦の間になんど食べたかわからないシンプルな塩おにぎりがおいしくて、おいしくて、疲れ切っていた足も回復して、ペースがあがり、そして、SUUNTO9のからくり(笑)にも気づいて、やる気も回復。

そのころ考えていたのは、今は何周目かということだけ。1周500メートルなので、合計322周。走る前から、そんな途方もない数を数えても仕方がない、と思っていたし、明言もしていた。でも、そのことしか考えることができなくなっていた。草の分け目まで覚えてしまいそうなぐらい、同じところをぐるぐる回っていた。昨日の朝もお見かけしたゲートボールのおじいちゃん、おばあちゃん。その時間と前後して犬の散歩に訪れる決まった顔ぶれ。夕方には野球やサッカーを楽しむこどもたち。すっかり公園の利用実態に詳しくなってしまった。

その頃には、なぜ走るのか、ということに対する「ランニングあるある」のような世界観はどこかに消えてしまっていた。

100キロを過ぎたあたりから、やっとかすかにゴールが見えてきたなと感じていた(無理やりそう思っていた)こともあり、上がらないながらも安定したペースで走ることができた。それでも、いつものペースとの差にイライラしながら、いつおわるんだろうなー、と相反する気持ちもあった。でも、朝に襲ってきた「もうおしまいにしよう」という気持ちは沸いてこなかった。どちらかというと、「これで達成できなかったら、自分の性格を考えると、近いうちにまたやるって言い始めるんやろーなー」という自分への警戒心から走り続けていた(笑)。お仕事の御縁で富士山に登った時に、大雨でも登頂して、幹部の方が、「今諦めたら社長が来年もって絶対言うから」と言っていたことを思い出して、少し笑ってしまった。

その間、何度も冷たいものや食事を妻が届けてくれていた。Facebookなどを通じて、多くの友人が励ましの言葉をかえてくださっていた。

いよいよ残り10マイル。スタート翌日の14時。すでに31時間が経過していた。いつもの感覚だと、残りたったの16キロ。どんなにちんたら走っても1時間30分ほどで終わる旅だ。でも、とてつもなく長かった。16キロという端数感が半端なくいやだった(笑)。

あと何週で終わりかという簡単な計算もできなくなり、SUUNTO9が示す走行距離が遅々として伸びないことに腹立たしい想いをいだき、容赦なく照り付ける太陽に、「あーあー、真っ黒に日焼けしてしまったやんかー」と訳の分からない文句をつぶやいてみたりした。

それでも終わりは来るもので、歩いてでも足を一歩踏み出せば、161キロの旅にも終わりがやってくる。最後の1メートルのカウントが繰り上がり、走行距離が161キロを示したとき、心の中を占めていたのは、感謝の気持ちだった。

そうか、いつもありがとう、を言おうと心に留めているが、毎日の生活の中でそれすら、なあなあになっているんだな、そして、こんなつらいことに挑戦することで、すべての雑念を無理矢理はがされて、その中で、応援してくれる、サポートしてくれる人たちに、こころから「ありがとう」という気持ちを抱くことができるんだな、と。逆に言えば、そこまで追い込まれないと本当に心からの感謝ができなくなっているんだな、と。

とんでもなく、不器用で、とんでもなく、どーしようもない人間なんだなー、と思いながらも、とても大事なことに気づかせてくれたトレイルランニングに感謝している。そして、気がつけば、変わることもできるんだと信じたい。

トレイルランニングや登山、そしてスキーとの出会いのきっかけをくれた石井スポーツ、アートスポーツの皆様に本当に感謝、感謝、感謝だ。人生を変える出会い、というありきたりな表現では、言い表せないほどの気持ちでいっぱいだ。いまでも友人としてお付き合いをいただいている方々もたくさんいて、これからも末永く一緒にアウトドアで遊びたい仲間たちだ。もちろん、楽しくお酒も飲みたい!(笑)

走り終えたときに、322回眺めたテントに目をやり、うずくまるように芝生に崩れ落ちた。心のなかで感謝の詩がゆっくりとめぐり、それを糸のように紡いでくれた人たちに想いを馳せながら仰ぎ見た青空(そら)は底抜けに碧かった。

            2020年6月17日 再出発の地に向かう新幹線にて


p.s. 走った時のことを、色あせないうちに、今すぐ書いた方がいいという気付きをくれた親友に心からの感謝を送ります

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