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#11 次の当たり前を作ろう

2021年初め、高輪ゲートウェイ駅前再開発エリアで出土した、明治初期の鉄道構造物「高輪築堤」の報道公開がありました。旧品川車両基地の西縁で、駅開業前まで山手線と京浜東北線が走っていた線路の、ほんの数メートル下。1872年に新橋-横浜間に鉄道が開業した当時の遺構が、ほぼ原形を残していました。海上に鉄道を通すために築かれた堤は壮大で、石積みの緩やかな傾斜は、そこがかつて海岸線だったことを想像させるのに十分。堤内に舟を通すため設けられた水路には石垣の橋台が残っており、堤幅によって異なる形の石垣が並ぶところからは、開業後すぐ輸送力強化に追われ、線路を増設した痕跡も見えました。

10月14日は新橋-横浜間に鉄道が開業した日。今日でちょうど150年となります。鉄道の開業は日本の近代化の象徴と指摘されます。「富国強兵」が掲げられた明治期には産業発展を支えるため、幹線鉄道網が急速に整備されました。当時敷かれた路線は都市形成の軸となり、トンネルや橋梁などの構造物には、まだ現役で活躍するものも多くあります。資源を採掘する鉱員を運び、採掘した資源を輸送してきた鉄道の多くは、すでに役目を終えています。人口ボーナスが見込めた高度経済成長期ならいざ知らず、生産年齢人口がピークアウトした後の、産業転換や都市化、モータリゼーションといった環境の変化。鉄道だけが昔のままではいられません。

鉄道は移動を手軽に、旅を身近なものとしました。移動時間の短縮や多頻度・大量輸送で生産性を追及するだけでなく、移動そのものを快適にしようとも取り組んできました。街と街とを結び、人を運ぶだけにとどまらない、記憶や想いをつなぐエモーショナルな存在でもあります。乗り物としての多様性やホスピタリティー、移りゆく車窓から見える景色など、魅力を挙げればきりがないでしょう。ただ、その前提にあるのが、安全であり、正確さも含めた安心です。それは150年かけてつくられ、継承してきた〝当たり前〟という信頼。経験工学である鉄道は、過去の不幸な事故や、さまざまな失敗を克服することで進化してきました。

2017年春、私が運輸業界担当に着任した当時、JR東日本は「次の当たり前を作ろう」というコピーのテレビCMを流していました。ちょうどJR発足から30年のタイミング。自らの仕事が日常の一部になっているという誇りと、危機感がにじむ未来への挑戦。こんなメッセージを打ち出す取材先にワクワクしたことを思い出します。150年もの間、〝当たり前〟であるかのように人やモノを安全に運んできた方々、産業・生活に不可欠な社会基盤を作ってきた方々、今日この時間も〝当たり前〟を続ける方々、すべての鉄道関係者に敬意と感謝を表します。そして次の〝当たり前〟を創りだそうと難題に取り組んでいる鉄道員たちにも心からのエールを贈りたいです。


(余滴)国鉄は38年で幕

日本の鉄道150年の歴史の中で、日本国有鉄道(国鉄)という公共企業体が存在したのは、戦後の38年間。国営だった戦前も1920年から23年間は鉄道省があったが、時代や戦局に応じて事業体は変化していた。分割民営化で誕生したJR各社は、すでに発足から35年が経過した。上場4社は完全民営化を果たしている。純民間資本で現存するもっとも古い〝私鉄〟は南海電気鉄道(創設当時は阪堺鉄道)。


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