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とらくれ日記 #06 : シェアハウスと幻想

わたしは今日、シェアハウスを出る。
シェアハウス自体はなんだかんだで4年ほどかけて3つのシェアハウスを転々としてきた。とらくれすにはオープンから住んで1年ちょっとだった。

出て行く理由は個人のブログに書くとして、
「シェアハウスに住んでいる」という話を人にすると、概ね3つのパターンのコメントが返ってくることが多い。

「テ●ハみたいですね!」「みんな家族みたいな感じなの?」「えっ、ひとりの空間がもてないなんてマジ無理なんだけどww」

一人暮らしよりシェアハウス生活の方が長くなってしまった身から言わせてもらえば、そんなものは全部幻想である。ってか住んだことないのに無理とか言ってんじゃねー。

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まず、某ドラマのようなキラキラしたシェアハウスライフは実在しない。
シェアハウスに住めば、イケメンあるいは美女とキャッキャウフフして毎日ハッピーキラキラリア充ライフ☆なんてことはありえない。本当にそうであればわたしはシェアハウスを出ることはないだろう。

テレビ番組として成立させられるだけの要素(誰もが羨むような立派な家、ハイスペックなのに親しみやすい美男美女、恋愛をメインとしているなど)があるから、人は惹きつけられ、面白いと思う。
その結果、シェアハウスにそういったイメージを抱くが、それは幻想である。現実はそんなに綺麗じゃない。

次にシェアハウスに住んでいる人間がみんな家族みたい、というのも幻想だと思う。みんな違った理由で住み、違った生活サイクルで暮らし、違った価値観に基づいてコミュニケーションをとるのだから、そこに一般的な「家族像」が存在するとはわたしには到底思えない。

正直こんなやつと家族になれるわけないだろ、って人間もいたし、わたしのことをそう思っている人間だっていると思う。
ただ、今や家族の形なんて決まった形はないし、どんな形であれその人がシェアハウスに住んでいて家族みたいと思ったらそれは家族なのかもしれない。知らんけど。

最後にひとりの空間を持てなくてしんどい、というのも幻想である。シェアハウスに住んでいる人間はみななんやかんやでひとりの空間や時間を確保しているのだ。
というかこれはシェアハウスに住んでいる他の人と適切な距離感を取れない場合に生じる問題だと思う。住んでいるうちにそのへんは自然とうまくなっていくと思うからあまり心配しなくていいと思う。たぶんな。

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これまで何度も「幻想」という言葉を使ってきたが、改めて大辞泉で幻想の意味について調べてみよう。
「現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。また、そのような想念。」だそうな。
人間、想像できないものは実現できないっていうし、「少年よ大志を抱け」なんて名言もある。
そう考えれば案外幻想というものも悪くないし、幻想をいつか現実にすることだってできるかもしれない。

ちなみに、わたしが一番好きな偉人の言葉は「諸君、狂いたまえ」だ。

たとえいま、現実にないものであっても「こうしたほうがよくね?」「あれをすれば面白そうだ」という思いがあるのであれば、
たとえそれが、常識外れだとか周りから引かれそうなものであったとしても、本当にその思いが強いのであれば思い切ってやっちまえよ!的なメッセージを含んだ言葉だとわたしは捉えている。

そんな狂気の渦の中に一番深く長くいることができたのが、とらくれすだった。
「とらくれす」は無軌道=tracklessという意味らしいのだが、本当にそうだなあと思わされた。住んでいるやつはほとんどみんなそれぞれ勝手な幻想を抱いて無軌道に動きまくっている。そんなやつばかりで腹立たしいと思うことは何億回もあったがなんやかんやで憎めない。

シェアハウスというのは幻想を抱くために存在しているのかもしれない。
時々は遊びに行って、幻想を理想に転化させつつ、そのうちのいくつかを現実にできたらいいなと思う。

さんしち(@3710offical)


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