わたしはリトルトゥースではない

リトルトゥースを知っているか?

村上春樹の1Q84に登場する謎が謎を呼ぶリトルピープルでもなければ、トイストーリーに登場する緑色に三つ目のおもちゃのリトルグリーンメンでもない。

ニッポン放送の長寿ラジオ番組、『オードリーのオールナイトニッポン』リスナーの呼称である。

まず申し上げなければならない、わたしはリトルトゥースではない。
わたしがオードリーさんの魅力を語るには、あまりにも知らないことが多すぎる。
リトルトゥースについてググった際に出てきた全プリキュア大投票陰謀説という事件も知らないのだ。全プリキュア大投票陰謀説って何なのか、なぜ金スマで取り上げなかったのか。教えてくれリトルトゥース。

けれども趣味と言える趣味もなく、「自分が好きなもの」について話すことに気後れしてしまうわたしが春日さんのように胸を張って言えること、それはオードリーさんの漫才、春日さん、若林さんが好きだということだ。

若林さんが本を書いていると知り、初めて手に取ったのは『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込み』。この本もぜひ読んでほしいが、キューバに旅立った際のエッセイ、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』これは国語の教科書に載るべきではないだろうか?

けしてツッコミ待ちの誇張表現ではない。

小学生の頃、重松清のカレーライスを国語の教科書で読んだ時のような、言葉が自然と心と体にふっと落ちてくるのを感じた。

 重松清のカレーライスは「僕は悪くない」から始まる。何度も宿題で音読したから覚えている。内容は正直あまり覚えていない。

 わたしはこの本を2019年のゴールデンウィークに読んでいた。祖母や親戚に会いに行った福島から東京へ帰る時だった。
「何か欲しいものはない?」そう訪ねた祖母はわたしを駅中のショッピングセンターに連れて行き、洋服はどうかと歩いて回った。
欲しい服がなかったわたしは「欲しい本がある、若林さんの本が欲しい」と言い、高いものでもないし、もう子供でもないし、と買いたげな祖母を説得してキューバ旅行記を購入した。

東京にいる時でさえ出かけたり仕事以外で人に会わないわたしが旅行をしている。このタイミングで読めば最高の旅行になるのでは?とワクワクして本を手に取ったのを覚えている。

この本は、スーパーボウルのロケでニューヨークに行く所から始まる。
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」そんな価値観に、自由の女神を見上げながらため息をつく若林さん。

 ニューヨークという街は金とアドレナリンの匂いに溢れていた。若手時代に感じていた「仕事で成功しないと、お金がなくて人生が楽しめません!」という声はここが発信源ではないか?というほどに。わたしは大学を卒業してフリーランスとして仕事を始めたばかりでまだ起動に乗っておらず、その言葉がグサグサと胸に刺さった。

 わたしがオードリーさんを知ったのはおもしろ荘からである。中高大は部活ばかりでテレビをほとんど見なかったけれど、M-1は姉と腹を抱えて毎年見ていた。話題のドラマも旬の俳優も知らなかったが、じゃないほう芸人、人見知り芸人、若林さんが出演するアメトークだけは見ていた。

 ちなみににゃんこスターさんを始めとした、一世を風靡した芸人さんたちをほとんど知らなかったが、若林さんがMCを務める『しくじり学園お笑い研究部』で初めてネタを見た。平子さん、面白かったなあ。

 話題は逸れたが、このキューバ旅行記での若林さんは、昔みたテレビでの「なんとなく知っているイメージ」から始まっていた。モヤモヤとした思いを抱え生き辛そうな(不快な思いした方、ごめんなさい)わたしと近い価値感を持った方が、その本にはいた。

そんな若林さんは、薄暗い明け方、ハバナの街の人々が生きる音に耳を澄ませ笑う。

「誰かの顔色をうかがった感情じゃない。お金につながる気持ちじゃない。」

「出掛けたいところがあることって、人を幸せにするんだな。明日も、まだ行ったことがない所に行ける」

 このエッセイは、キューバへ旅したことについての本であるけれど、それだけではないのだ。

 社会という複雑なシステム、最近よく耳にする言葉、価値観。様々な若林さんの疑問から、キューバへの旅は始まっている。格差社会、スペック、ブラック企業はどうして増えたのか……。

「買っても負けても居心地が悪い。いつでもどこでも白々しい。持ち上げるくせに、どこかで足を踏み外すのを待っていそうな目。」

 感じたことはないだろうか。学校で、習い事で、友人で、仕事で……わたしはこういうものは大人になってしまえば無くなるものだと思っていた。
 けれど、いくら素晴らしい人に出会えても、自分が成長しようとその感覚は変わらなかった。

しかしこれは「新自由主義」という競争社会に向いていない人間の悩みである。他のシステムで生きてる人間はどんな顔をしているんだろう?そう思い若林さんは旅立つのだ。

キューバ人の人見知りや、サンタマリアビーチの巨漢。人々の暮らしや文化に触れ、感動し興奮する若林さんは「社会主義の競争ではなく平等なシステム」に参ったな〜と呟く。

「自分に尋ねた。競争に負けてボロい家に住むのと、アミーゴがいなくてボロい家に住むのだったらどっちが納得するだろう?」

 努力をして、結果を出せば自分が着たい、良いと思う服が着られる。良い家に住める。配給があり、平等と謳うけれど、コネや海外に住む家族や知り合いがいて、それで良い家や電化製品を手に入れられる。

 メリット、デメリットはどちらもある。

 何が良いかは人それぞれで、良いも悪いもバランスが全てで、それでもその国で生まれたからある程度自立するまではそこで生きるしかない。

 日本では努力して結果が出れば手に入る。

 報われない努力では、手に入らない。とてもシンプルで、難しい。競争に勝つために必要なことはなんだろう。競争をして勝った先で手に入れられるものって、なんだろう。お金では買えないものがある、と使い古された台詞があるけれど、どうなんだろう。

 一番好きな、マレコン通りという章について話したい。

 キューバは若林さんにとって、日本ともニューヨークとも違ったシステムで生きる人たちを知るためだけではなく、亡くなった父親が行きたかった場所でもあった。世界で一番の味方を失った悲しさを、誰もいない環境で一人になって思いっきり悲しみたかった。けれども、悲しむことよりもずっと近くにその存在を感じていた。まるで一緒に旅をするかのように。

 マレコン通りの堤防沿いには、お祭りの後かと思うほどに人が集まるという。

 キューバの街全体にはまだWi-Fiが飛んでいない。だから、みんな会って話す。液晶パネル中の言葉には表れない、声や顔を伝えに。そこには血が通い、白々しさから無縁の場所だった。

 キューバから東京へ戻る若林さんはなぜこれからも東京でいきるのか、と思いを馳せるのだ。

「白々しさの連続の中で、競争の関係を超えて、仕事の関係を超えて、血を通わせた人たちが、この街で生活しているからだ。」

 わたしは福島から東京へ向かう新幹線に乗っていた。自由席の座席に座り、その本を手にする数分まで、駅の改札で祖母と「またね」と抱き合っていた。コロナが流行るなんて思いもしないわたしは、またすぐに会えるのに、と思いながらも溢れそうな涙を堪えていた。

 震災があって、わたしが生まれた町は少しずつ変わっていった。震災は福島だけではなく各地で起こって、新自由主義という、システムの中でいろいろなことが変わっていく。
 学のないわたしには分からないが、ある時ニュースは老後2000万が必要だと伝えた。それが本当なのか、議論がいかに尽くされているか分からぬまま世界にはコロナが広まってしまった。夏でもマスクをしたわたしたちは、新しい生活様式というシステムの中で暮らしている。

 わたしは旅行をしたことがほとんどない。福島に帰っても、わたしは特別どこかへ出かけることはない。旅をして知る新しい文化、価値観、驚きや興奮……若林さんの真っ直ぐで飾ることのない等身大の言葉で味わうことがこの本を通してできた。

 しかしそんなわたしでも、知っていることがあった。若林さんがハバナの街を見渡しながら、口を押さえて笑ったように、意味や理由を必要とせずに笑うことができる場所。それはわたしが生まれた町、福島である。

 マレコン通りに集まる人と同じように、祖母や従兄弟や親戚たちと時間を忘れて他愛のない会話をするために会いに行く。幸せと言うには平凡すぎることなのかもしれない。
 けれどコロナが広まった今、実現することは難しい。

 東京へ帰る日の朝、わたしは祖父のお墓参りに行った。孫たちに「親友だもんな」と言うのが口癖の、明るく面白い祖父は震災よりもずっと前に亡くなった。

 もう会えないということに涙が止まらず、悲しくて泣いた道を、わたしは昔に比べれば明るい顔で歩いていた。けれども、「会いたいねえ」という祖母の言葉に寂しくって涙ぐんだ。
 平成から令和になった日。
 今日はあなたやわたしの記念日ではないが、新しい時代を一緒に祝いたいと思った。

 コロナが収束する気配が無いまま時間は過ぎて、福島に行く計画をたて、祖母が東京に来る計画をたて、その度に「またね」が続いている。

 会えない分、わたしは祖母と手紙のやりとりをするようになった。
 コロナが不安、仕事が不安、情けないことばかりを綴った手紙である。

 祖母は「何があっても大丈夫」と言った。

 そうだ、大丈夫と言うことから大丈夫は始まるんだ。若林さんが以前の本に書いていた。

 何があっても、大丈夫。

 震災のとき、オールナイトニッポンでオードリーさんがした漫才を最近になって聞いた。

 「絶対大丈夫です 頑張りましょう」

 セカンドの7番と言いながらもテレビ、ラジオ、書籍と大活躍する若林さん。ボケていないといじられる春日さん。あり得ないくらいサイコロの目が当たりMVS取っちゃう春日さん。教室の一角で他愛もないことに腹を抱えて笑い合った二人でしか生み出せないトーク、漫才がわたしは好きだ。

 わたしはリトルトゥースと言えるほど、オードリーさんについて知らず、二人のテレビを見たりラジオを聞くようになったのもここ最近で、リトルトゥースと言いたいが言えないのだ。

 しかしオードリーさんのファンである。

 セカンドの7番でも、大人数の番組が苦手でも、イージーなメンバーでしかトークできなくても、オードリー以上に最高にトゥースな芸人を私は知らない。

 


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