毎日の楽しみだったこと

僕の好きな漫画の中に呪術廻戦があげられます。
登場人物である七海健人が
「小さな絶望の積み重ねが人を大人にする」
と言っていました。

僕はまだまだ知見の浅い子供ですが、10年前に比べたら少しは大人になってると思います。なんなら義務教育過程の自分なんて思い出したくもないくらい子供だなぁと。知らず知らずのうちに、小さい絶望を積み重ねてきたのかもしれません。

個人的には絶望、というよりも楽しめていたことが減っていってるなと感じます。最近の楽しいことといえば、友人と遊んでいる時、趣味に没頭している時、満腹の時、くらいです。これだけあればいいとも思うのですが。なんだか減ったなぁと感じます。

例えば、数字が揃った時刻のホーム画面をスクショしたり、横断歩道の白だけ歩いたり、誰に見せるわけでもなくふざけた動画を撮ってみたり。
最近は全くしなくなったなぁ。つまんない人間なのかなぁと。自責してしまうこともあります。
毎日が楽しかった時は、どういうマインドだったとか。人に変な勘ぐりをしなかったなぁとか。裸眼なのに偏見まみれの色眼鏡をかけて、変な伊達メガネおじさんになって行ってしまうのは悲しい限りです。

思い返していくうちに、気づいたことがあって。
僕が楽しんでた日々は、独りで完結するものではなくて、誰かと共有して、誰かとふざけあってたからこそ成り立っていたものなんだと分かりました。みんなそれぞれ変わっていく中で、どこかでズレていってしまって、話さなくなっていって、独りだと何も楽しくなくなって。

僕の日々の楽しみは、一種の流行のようなもので、もう過ぎ去ってしまったから仕方ないと思うには僕はまだ子供すぎます。

小さな絶望を重ねてはいますが、その経験からまた楽しみを見つけて、誰かとふざけあって笑ってそれが思い出になって。みたいな。

昔は楽しかったこと、昔は好きだったことは、今も楽しいか、今も好きなのかは分からないけれど、そういうものと再会して、現状の日々を吹っ飛ばしてくれるのならやる価値はすごくあると信じたいです。

幸せな人生の回転に合わせて、ゆっくり時間が流れてくれればいいのにと思います。

変わっていなくても、変わっていても、
楽しめても、楽しめなくても、

いつか、生きた記憶を思い出すために。

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