生きたい方向性に気がついたという話し
私は幸せになりたい。
漠然とそう思う。チェンソーマンのop曲のノックバックが凄く刺さる。本当に、楽して生きていたいよ。
幸せになりたいのなら、いまは幸せじゃないのか。そもそも幸せとは何だ。
よく分からない思考のループにはまる。
高校生の頃からか死にたいと浮かぶようになった。別にリスカはしない。夜ひとりで声を押し殺し泣いていただけ。翌日には平気になったりする。
死ねない。なぜ生きているのかと問う。
答えは出なかったから、これからどう生きるかと考える方向を変えた。
できることならお金持ちになりたい。それで海の見える土地を買い、理想の家を建て、ほどほどに働き、揃った調理器具で高い食材を簡単に調理する。たまに大掃除に人を雇う。そんな生活がしたい。
現実では最低賃金のパートで働き、スマホ依存症だ。家は安いという理由で買ったもので溢れていて、不規則な生活、寝巻きで過ごし、不潔であることを許容して生きている。成功者に憧れ、意味のない努力してみたり、安易に買い物をする。
心惹かれるものは清らかな物事だと気がついた。
丁寧な暮らしだったり、お金持ちの家や、お寺。
お金があった方が楽に理想の生き方ができるが、お金持ちになるのは楽じゃ無い。
なら、貧しさを肯定して、理想の生き方のために時間を使えばいいのではないだろうか。
興味の持てない高収入の仕事に就くための努力、女の成功は綺麗であることだと痩せる努力。
それをやめて、清貧であることへの努力をしてみようとおもう。
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