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魔法のことば

わたしにとって、祖母のことばは魔法だ。

父方の祖母、尊敬する大好きな人。

祖母は近所でも評判の人格者。誰かを傷つけたり誰かを疑ったりすることがない。悪口は一度も聞いたことがない。

わたしのこともいつだって100%肯定してくれる。祖母といると、本当にわたしの存在自体を良いものと思ってくれていることがよく伝わり、心がぽかぽかしてエネルギーのメーターがググググっとあがってゆく感じ。

もう90を超えた祖母、足腰が丈夫で雨戸の開け閉めや布団の上げ下ろしなどは、まだ自分でできる。わたしが祖母宅の畳や縁側でごろごろしていると、そっとタオルケットをかけてくれる。夜中に様子を見に来てはだけた布団を直しにきてくれる。もう本当にいい年の孫なのに、しかも既に人の親なのに、祖母が変わらず小さな女の子のように扱ってくれるとき、いつだって少しくすぐったく心地よい。


わたしの三十余年の人生の中で、小学校高学年から社会人までの計16年間、祖父母宅の隣に住んでいられたことは本当に幸運なことだったと思う。

父の転勤で小学校は三回変わった。低学年までいた牧歌的な田舎の学校とは違い、中学年の時に在籍した二つ目の学校は、今思い出しても胸糞悪くなるような悪意の塊のようなところだった。各クラスが一つのことにストイックに打ち込み県大会や全国大会に出場するという特色があり、きっとハタから見れば高級住宅街の丘の上に立つ立派な小学校だったのだと思う。だけど内情は、大会に向けた能力差や各家庭の貧富の差などから生徒同士、教師から生徒への陰湿ないじめがあった。当時の自分は、8歳。リレーで転んでできた太腿の大きな擦り傷に砂を塗り込まれながらかけられた罵倒も、そのあと別の子からもらった優しい言葉も、両方ともたぶんずっと忘れない。授業中にわたしの発表には手放しで褒めるのに一人の男の子には酷い言葉を投げかける、担任の若い男性教師の言葉もずっと忘れない。

幼いながらに色んなことを思い悩み、考えたその当時のことを思うと体は小さくとも小学三年生は既に決して何もわからない小さな子どもではない。(これは、子育ての時に覚えておきたいと思う大事なことのひとつ)

高学年になるとき転入した小学校は拍子抜けするほど皆が本当にまっすぐで優しく善良な子たちだった。担任の先生も一般企業を経て教員になったとても個性的なおじさんでどの授業も特別面白かった。

そして何より高学年からは自宅の隣に祖父母宅があった。祖父は毎日のようにスーパーに行き私たちの好きそうなものを見繕っては、毎晩のように私たち兄弟を夕飯に誘ってくれ、美味しいご飯を作ってくれた。自宅で入浴した後もまた祖父母宅にデザートを食べに行ったりした。いつなんどきも常に大歓迎の姿勢。

社会に出てから「自己肯定感」という言葉をよく耳にするようになったが、初めてその言葉を知ったとき、ただその存在だけで価値がある、わたしがいて嬉しいと日々感じさせてくれたのは間違いなく祖父母の存在だと思った。

父母がドライで干渉しないタイプなので余計に、祖母の時に過度にも思える心配や優しさはちょっと照れ臭く、でもホカホカ嬉しかった。

勉強や仕事に関しても、ただの部屋の片付けでさえも、祖母は「頑張りすぎないで」「根(こん)詰めないで」と口癖のようにいつも言っていた。全然そんなタイプじゃないのに、さもわたしがすごく真面目で頑張りすぎる子どもかのように扱ってくれた。

だけど、平常時には、そんな大袈裟だよー!と思える言葉でも、なんだか疲れが溜まった時にはふと思い出して心を癒してくれたりするもので、二十代の頃は通勤の満員電車の中でよく祖母の言葉を思い出した。そして実家を出た後も、辛いことがあった時やなんだか疲れた時には決まって祖父母宅の縁側に戻り、横になって目をつむり、祖父母のたてる優しい生活音を聞きながら、ふり注ぐぽかぽかの陽光の中のんびりして英気を養った。ヤクルトかオロナミンCを渡してくれる祖父、座布団やタオルケットをかけてくれる祖母。

いつもそこにあって、いつでも帰れるシェルターのような場所。

自分の部屋や自分の家とは別にそんな場所があることはとてつもなくかけがえのないことだった。

これから、我が子の人生にとってもそんな場所があるといいなと思う。



娘は祖父母と物理的に離れて暮らしている。国境を跨いで。だからこそ、夜眠る時にわたしは娘に語りかける。


お母ちゃんもお父ちゃんも〇〇のことが大事なんだよ

じーじもばーばも大事なんだよ

おばあちゃんも〇〇のことが大事大事

いてくれるだけで嬉しいんだよ

〇〇が楽しいとみんなが嬉しいんだよ

〇〇はみんなの大事大事なんだよ


願わくばこれからどんどん大きくなって、大人になってもおばあさんになってもずっとずっとおまじないのように呪文のようにずっと娘の中にとどまってほしい。

何もなくても心の奥に留めておいてほしい。何かあったときには何度でも思い出してほしい。

だからこれから何度でも何度でも伝えたい。

娘にとっての魔法のことばになるように。




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