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~覚えておきたい 矢口新の相場語録~【実践】第30回 矢口新の ローソク足のみ トレード解説09 [矢口新の生き残りの投資セミナー テキスト教材]

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このnoteは「矢口新の生き残りの投資セミナー」のテキスト教材です。

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このテーマで学ぶこと

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このテーマは、動くチャートを見ながら詳細に売買のポイントを解説していくものです。テキストでは、矢口新が解説の際に述べた、特に覚えておきたい言葉のみをピックアップしてご紹介します。「手法」に関しては動画でお学びください。(動画時間:42分)

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仕事でも人間関係でも、頑張っても仕方のないところで頑張ると、あまりいい結果にはならない。それよりも少し視点を変えて、他の方向で頑張ってみる。例えばコロナによる自粛で本業が苦しい時に、トレーディングでもなんでもいいが、とにかく目先を変えて努力する。何が大化けするか分からないのだ。ただ、無理して興味もないことをする必要はないので、無理なくできるものをするといい。

長期間、緩やかな下降が続いてきた後に、大陰線が出た。このような時にディーラーが想像するのは、「投げ」が出たということ。「投げ」というのは、下げが続く過程で「もうそろそろ上がるだろう」という感じで買ってしまう人たちが、ずっと辛抱していたが「もうだめだ」という感じで投げる、つまり、買っていた人が損切りすること。買いで溜まっていたものがドンと出るので急激な下げが起きる。1分足だとすればデイトレの人が投げたということになり、時間足や日足だとすれば、もう少し長い期間で見ていた人が、同じような展開の下げ波動が続いてきた形のところで投げたということになる。その投げが出ると、売り込んできた人たちがショートカバー(ショートの買い戻し)に入る。つまり、買って利食いをする。急落した後の最初の上昇は基本的に、新しいロングではなく売っていた人のショートカバーが中心だと見ていい。人が損切った後に、利食いが入るということ。要するに、これだけ長く下降が続いていると、ショートで入っていた人はどこで利食おうかとニヤニヤ笑いながら見ている。だが、もう少しもう少しと思って待ち、投げが出たと見られるタイミングで利食いする(上図のチャートでは大陰線の下ヒゲ辺りから、このショートカバーが入っていると見られる)。そして、その様子を見ていた人たちが徐々に新しくロングを作り始める。※

※反対でも同様。「投げ」は上記のように、ロングで踏ん張ってきた人たち、買い増しして来た人たちが諦めて投げ売りすることで、下げ止まりの前兆。「ロングの投げ売り」と呼ぶ。反対に「踏み」は、ショートで踏ん張ってきた人たち、売り増しして来た人たちが踏みあげられて買い戻しすることで、上げ止まりの前兆。「ショートの踏み上げ」と呼ぶ。

早く売買すること(谷底、山の頂上に近いところでの売買)が結局は一番安全というのが、長年やってきた結論だ。谷(安値)や、山(高値)に近いと、損切りの幅が狭い。つまり、前の高値や安値を抜けてしまえば、ドテンすればいいだけということだ。やることがはっきりしているので、迷いがない。待ったり確認したりして慎重になって、それで上手くいくのであれば誰だってするだろう。高速の側道から本線に入るとき、スッと入っていけば入れるが、躊躇してしまうとなかなか入れなくなる。そのうちに側道が終わりかけてきて、慌てて危ない入り方をしてしまい、後ろからクラクションを鳴らされる。後ろから来ている車は「ああ、そういうことをやってくるな」と分かっているので基本的には大事に至らないわけだが、このように事故になってしまうような入り方をする人はいくらでもいる。要するに、スッと入ればいいものを「もしかすると入れないんじゃないか」とか「後ろの車がもっとスピードを出してくるんじゃないか」など色々なことを考え、考えれば考えるほど入れなくなる。これは、相場でも同じだ。誰でも自動車学校を出たばかりの時は不安なのだが、このようなことは身体に叩き込んで改善していくしかない。やがては過信してしまうという点でも、相場と車の運転はよく似ている。

・私の場合、結局は「取れるときは取れる」というのが染み付いてしまっているので、難しいとかイメージと違うというようなところで踏ん張ることの意味をあまり見いだせなくなっている。本当に相場というのは、取れるときは簡単なのだ。だからこそ、大儲けしたということを自慢する人が沢山でてくる。たまたまその人が巡り合ったのがすごく簡単な相場だったわけだが、そのような人たちは長いことやっていると結局はお金を無くしてしまう。「大儲けできた簡単な相場」のイメージに固執して、どのような相場でもそのイメージを追い求めてしまう。そのため、私の場合はイメージと違ってきたと思ったらすぐにやめる。少しずつの利益でいい。欲張らない。なぜ欲張らないかというと、欲張らなくても儲かる時はあるからだ。収益を決めてくれるのは、自分じゃない。少なくとも、イメージと違う相場には固執しない。機関投資家も、このようなスタンスでやっている。価格が上げ下げする「波動」は必ずあるので、山越え確認や谷越え確認という形で、上げ波動が下げに転じる、下げ波動が上げに転じるというところを押さえていければ、確実に儲かる。問題はその見極めだけなのだが、その見極めが難しいようなところで無理にトレードする必要はない。見極めたと思ったら自然に手が出るぐらいなものだ。「あっ、転換したな。買わなきゃ」と思い、自然に手が出る。難しいところで、分からないのに無理しても仕方がない。損したらもちろん嫌だが、儲けたところで疲れるばかりだ。やりやすいところというのは、必ず来るのだ。

・儲かる儲からない、上手くいくいかないというのは、自分の力を超えたもののような気がしている。恐らく、長くやっている人間はそういう感覚を持っているのではないかと思う。要するに、タイミングが合わなかったら儲からない。こちらはタイミングを捉えようと努力はしている。努力はしているが、それが本当にいいタイミングかどうかは、ある意味で「相場の神様」が決めてくれていることなのだ。自分はその相場の神様に嫌われないように、誠心誠意を尽くす。それだけだ。長くやっていれば、このような感覚になってくるものなのではないかと思う。私はあまりしないが、ゲンを担いだり、神社に行ったり、神棚を祀ったりする人はトレーダー(投資家)はいくらでもいる。トレーダーに限らず儲けている経営者なども同じように神に感謝しているような人が多いが、なぜ感謝しているかというと、変な言い方だが、自分の力で儲けたと思っていないからだ。自分は力を出している。力を尽くしている。だが、力を尽くしてもやられるということが当たり前のようにある。同じことをやっているのに、儲かるときと儲からないときとがある。それは、相手が世間だからだ。相場というのは世間のひと全体で作っているもの。つまり相手が世間なので、自分自身をどんなに優れていると思ったところで、世間が許さなければ、残念なことに許されない。かといって、自分を見失ってしまったら何もなくなるので、チャンスは活かせるように、自分を磨き続けるのだ。


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