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「無理をしなくて良い」という価値観の先に何があるのでしょうか?


 「無理をしなくても良い」

 最近の社会の雰囲気です。


 このような雰囲気が蔓延している背景には、過労死をする人の増加や精神疾患になる人の増加があると思います。


 なので、無理しなくて良いという価値観が広がるのは当然だと思いますし、良いことだと思います。

 



 

ですが!!!!


無理ってどこからが無理なんでしょうか??

どこから「もう無理」って言って良いんでしょうか?

「頑張る」と「無理する」って何が違うのでしょうか?


逆に、無理って言っている人にどこまで押し付けて良いのでしょうか?

その人が本当に無理なのかどうかを、どうやって判断すれば良いのでしょうか?

その人の言う「無理」をどこまで信じれば良いのでしょうか?


 そもそも、「無理」をしなくて社会は回るのでしょうか?

 多くの人が「無理」しないことで皺寄せがきて、困っている人はいないのでしょうか?

 これまで誰も「無理」をせずに成立した社会はあったのでしょうか?




 僕は新任先生です。「無理をしなくて良い」という価値観で学校現場に入りました。

 でも・・・学校現場は無理なくして成立しない場所です。

 僕が無理をしなかったら、誰かにその皺寄せがいきます。

 無理ができる人に皺寄せがいきます。

 
 働き方改革云々の話ではないです。

 子どもを終日預かり、教育をするという学校の性質上いくら無駄を削ったところで「無理」は出てくるし、「無理」なくして教育なんてできないんだろうと思います。

 そしてこれは学校現場に限った話では無いのだと思います。

 どの仕事も、誰かが無理しなければ回らないのだと思います。


 こんな当たり前のことに気づくのに8ヶ月もかかりました。

 結局、覚悟が足りなかったんでしょうね。自分を多少犠牲にしてでも子どものために頑張る覚悟が。仕事に挑む覚悟が。

  その覚悟ができて初めて、真に子どもに貢献できる先生になれるんでしょうね・・・。





 ここまで分かってて、どうしても覚悟ができないんですよね・・・。

 どうしても自分の幸せを最優先にしてしまいます。

 「無理はしたくない」

 と思ってしまいます。

 

 そして、今後僕みたいな人がこれまで以上に増えてくると思います。そうなったときに社会はどうなっていくのでしょうか??

 学校はどうなっていくのでしょうか??

  

 
 「無理をしなくて良い」という価値観の先に何があるのでしょうか??

 

 

 


 



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