欠けた月の黒いところ
欠けた月の黒いところ
私の口から、以下に記すような話を聞きたくない人は一定数いるだろうと思う。だからこれを書く前に少しだけ注意をしておく。私の方でも多少思い切った話を今からしようと自覚している。衝撃を受ける人もいるだろうと思う話題であるし、これを聞いて失望する人もいるだろう。かくいう今までの私自身もこういう話をすることを想像できなかったくらいである。これを見られては不味いと思う相手もいる。しかしこれが私の本当のところなのだから、その自然は変えることのできない、仕方のないことなのであるから、私はこれを書くのである。
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私は公立の小学校と中学校に通っていたから、中学以前の友人には非常に様々な人間がいるのであるが、彼らの殆どは精神が純朴で、美しく初心な神経を今でも保持していると私は考えている。もちろん私のように僻んだ人もちらほらいるが、決して大学のように蔓延ってはいない。大学で教育を受けたものは皆頭が働くし、ものは沢山知っているが、その分神経が過敏になって嫌味になる。僻んだ精神をしている。話をしていると段々嫌な気分になってくる。そうして私も嫌な気分を相手に与えているだろうと感じてしまう。これを高等教育の彼岸に起こる反響の苦痛というのだろう。
一方で中学以前の友人のような人間は、悪く言えば無教育であり、頭と精神が自我の深いところまで発達していない。論理も理屈もわからない。しかしながら、社会や人間については高等教育を受けたものよりちゃんと知っている。僻みも、嫌味もない。学問ではなく徳義的に賢い。私はこの点において、私のような頭の重い連中よりも遥かに立派で高いものに見えるのである。
だから私は時々今でも彼らに会って、些細な近況の話や懐かしい話をしたいままにすることがある。私はこうして彼らに対峙するとき、高等教育の狭間に置いていってしまった、ある種の何か美しいものを持った心の澄んだ人と相対しているという自覚がある。
そして同時に、私は彼らに対峙するとき、目の前にあるこの美しいものの上に、一滴の黒い泥のようなものを落として汚してしまわないか不安になる。つまり、私の持っている暗くて愚かな人間性の一部が彼らに乗り移ってはしまわないかと恐ろしくなるのである。
この感覚は、すでに私の黒い部分が憑ってしまっている人が少なからずいることに輪郭を裏打ちされている。話の隙間の苦笑の中で、些細な視線の動きを見る中で、私は美しいそういう人たちに、黒黒とした私の一部を感じざるを得ない瞬間があるのだ。
その一例はY君である。先日も彼に会ってきた。他の友人も含めて江戸川の河川敷で花火をした後、Y君らとともに高谷の方へ歩いて、真間川を横目にして法華経寺前まで歩き尽くしたときに、彼は人生において最も影響を受けた人物は私だと言ってくれた。しかし私はそれをよく思わない。なぜなら彼はニートだからだ。私が影響を与えた結果としてニートになっているのだから、彼を精神的に高いところへ持ち上げたとしても堕落させたことに相違ない。私は彼との邂逅から現在までを想起して、年とともに彼との親交を深めるたびに、彼の性質がだんだん陰ってきていたことを思い出して、私は彼を暗い穴の中へ誘ってしまっていたのだと思い知った。そうしてその結果として彼は不登校を経て終に穴の底で無職のニートになってしまった。気が付いた時にはもう遅い。生憎私は彼を穴の中へ落とすことはできても、穴から引っ張り上げる能力のない男である。ただ穴の上から、影が落ちて黒く見えるY君を見下ろして、憐れな感じを抱くだけである。
私の影響を与えた人物はY君だけでない。私は理解の上においてある程度以上の頭を持ち合わせている自覚がある。軽蔑や尊敬、好意や不快の色を人間の仕草や無言のうちに理解することができる。これは確実に正しいものであるという証明はないから、私の思い違いに過ぎないのかもしれないが、そういう理解をする(作り上げる)ことのできる能力を自覚している。
だから私は、尊く輝かしい彼らの中に、黒い側面が見えた時に、それがほんの一部でも私によるところを感じてしまうのである。
この世に十方が明るい人間はいない。月には必ず黒い影が存在するように、私が彼らを不味い方角から照らした結果、彼らにおかしな影を落としてしまったのである。
私は先日純潔を失った。上述したような美しい心を持った人間によってである。太陽のような人と言うと適切である。しかしながら、以下の事をいうと失礼だから、これを読んだ人の内にだけ留めておいて貰いたいものだが、可愛げと愛嬌こそあるが器量の上等な人ではなかった。そこが太陽に潜む影の一部をなしているといっても良いだろう。さて、この女が私のもとへ夜中に来たいという提案からすでに、私は事の様相を予期していた。だから私が女に会ったとき、あまり大きな興奮も慄きもなかった。私は女と会ってすぐに行為に至るかと思っていたが、そこに至るストロークは想像より冗長で不安定なものだった。
というのも、男と女の考え方は大きく異なっているからである。男はできることならその人間についてを多く問わないが (世間一般の男の代表として正しい意見を述べているつもりである)、女は好き合うもの同士のそれしか認めず、一世一代の一大事件かのようにそれを扱う (これは私の見た数少ない女の裸の意見であるから、女の一般ということはできないが、大体そうだろうと思う)。だから行為に及ぶまでかなりぐらついた土台の上で、左右に重さが行ったり来たりして、話頭の軽重がシーソーのように上下する時間が暫くあった。
特に私はその時に、女の問いかけ (告白と一般である) に答える形で、これより先に恋愛関係へ発展することはないという意思を明言していた。だから女は尚更ぐずっていた。なぜぐずっているかを私は理解していたが、意外にも女は私の思っていたよりすぐにそれを口にした。私と恋愛的に交際をして自らの彼氏にしたいからである。私に彼女ができたら (杞憂である) 捨てられる、および私を独占できないということを不安に思っているのである。
私は女の意見も尤もであると感じた。それは女が、冒頭に述したように私が把握していた程度より、遥かに道理のわかった人であったからだ。なぜなら女は、関係性の懸念の中で、行為をしてしまったら私が会ってくれなくなるだろうと考えていたのだ!非常に鋭い指摘だと思った。私はそんな事はないと否定をしたが、これを言われなければ、確かに今後に会う意思を失っていただろうと思い出して、私をよく理解した予測ができていると感じて極めて敬服した。それから、真面目に人を好いたことがあるのか聞いてきたことにも驚かされた。その時私は宵闇に微睡んだ頭にも押されて正直になって、人を好くという門の前に強い我が立っている事を、人を好く瞬間に自我が浮遊して、幽霊のように客観視を行った結果身を引いてしまう事を自白した。私はこの時、もしかしたら一生そうかもしれないという苦しい本音を微笑とともに添えたのである。
そういう苦笑をさせられた私は、女の言うことの正しさを勘案して、とうとう行為しない方が適当だと思い始めた。だから頭の後ろで手を組んで、まるで手を出さないで眠っていたのだが、向こうの何某の理由か何かで、抱き合って欲しいと言われたから、言われるままに女に身を寄せた (おかしな話である)。女は精神を甚だすり減らせていて、なるべく身体が深く重なるように抱き寄ってきて、微塵も離れようとしなかった。話を聞く限り摩耗の度は、私が想像していたより遥かに深刻であった。だから私が女を抱き寄せたのは、肉欲よりも精神の安定をはかってやりたかった方が大きかった。先刻女は、先日、会った知人らが私を高嶺の花と言ったという話を聞かせてくれた。女の私に対するイメージは、知人らのそれと一般であるだろう。要するに私は純粋に女に満足を与えてやりたかったのである。私の女に対する行為は、肉欲よりも遥かに、慰安を与えたいという憐憫と慈愛の感情の方が高かったのである。
夏の熱い晩だったから、服は次第に脱いでしまって、ほとんど裸になって身を合わせたあと、私の頭は殆ど眠っていた。女はしきりに、いずれ私からの愛を享受できなくなる可能性のある関係で良いのか、すなわちこれより先に進んで良いのか考えているようだった。考えているうちに、草臥れた女は微睡んで、二人少しの眠りに落ちたのである。私はぼんやりとした頭の中で、この肉体的な距離に精神が食い込むような苦痛を感じていた。女は私をひどく好いて我が腕の中に甘んじているが、私の方では女を恋愛的に好いていると言えないのであるから、その肉体的な距離と精神的な認識の懸隔が、私のひどく下賤で放埒で愚かなことを際立たせて、私の目の前に崖のように広がっていた。私はその崖に落ちるように、目の前の仮の愛を精神および肉体に享受している。私は女がいたたまれなくなった。それでいて、経験のない私に、檻の中の私に、理性をどこかへ打ち遣っておいて、何も考えさせまいと女を襲ってしまうことは殊更にできなかった。
......結論から言うと、その晩のうちに私は女を抱いたのである。私はこの純朴な女で、罪悪と自責の感のなか、貞操をかなぐり捨てたのである。そうして翌日女が帰るまで、まさに後に控えた女の予定に間に合わなくなる間際の時間まで、ほとんどの時間を抱き合って過ごしたのである。夜が更けて、幾度か浅い眠りをした後で、女が私にそういう誘いを掛けたのである。すなわち女が関係性に見切りを付けたか、思考を諦めてしまったのである。果たして女はいずれの思考の落着として、私と体を重ねたのかは、聞かずじまいだったからわからなかったが、いずれにせよ、私は好きでもない女を依存と恋の沼の中へ突き落としてしまったのだ。今後女は苦しむことに違いない。きっと辛い思いをするだろう。女の慰安を願っていたはずが、新たな苦しみを背負わせてしまった。我ながら酷い事をしたと思った。最中に幾たびか女は遠まわしに接吻を懇願していたが、私はそれをしなかった。これが私の女に対する唯一の純粋な温情である。次会った時、この温情が作用するかはわからない。
女は帰路で、恋人の定義や、付き合うことの定義を聞いてきた。私はそれにいくらか真面目な答えを拵えてやったが、どうにも以前の私よりも意見が軟弱であることに気がついた。全体どういうことかと言うと、事の結果として私は、恋愛に対して無経験であるが故に抱いていた、美しく清廉潔白な持論が、説得力をまるで失ってしまったのである。
すなわち私は穢れてしまったのだ!
私は女を見送ってから、我が人生中で最も最低な気分に陥った。私は生涯でたった一人を愛してみたい浪漫派の恋愛観を持っていた。愛すべきたった一人が現れないのであれば生涯誰とも交わる事なく死んでしまって構わないと考えることすらあるのだ。その恋愛観が尽く崩壊したのである。私は純粋な愛を育む資格を失ったのである。私は我が人生で初めて、消し難い俗悪な汚点が生じたとさえ考えて、頭の中でぼんやりとしていた、思考の水溜りの底へ沈んでいた、自死の観念が久しく浮かび上がってきていた。しかし同時に良い気分でもあった。それは単純な肉欲の他に、浮気になったからである。掻き乱された水底のほうから、自死の観念とともに、今まで沈んでいた浮気の類の精神的要素が浮かび上がってきたのだ。少しでも檻の中から外へ出られるような気持ちを手に入れたのだ。私は昔から浮気を軽蔑していながらそれを渇望していた。浮気になることは自己を解放するためのもっとも軽便な手段だからである。それを手にした私はこの点において愉快であった。
この最低の気分の中、私は松見公園にふらふらと辿り着いて、池の前に腰を下ろして黙然と水面に映る灰色の空を眺めていた。視界の隅に、白月が見えた。私の視界に、欠けた月の黒いところを見た私は、天罰を受けたのだと思った。太陽に照らされて、私は私に黒い影を認めた。それには自ら生み出した影とは違う不快と快楽があった。私は、私が以前から彼らにしていた事をそっくりそのままされたのである。
女は私に、私が人に幸せを与えられる人間であるといった。それは非常に短絡的な意見である。私にはその幸せが発生する前から、不幸に変化する様がありありと見えている。幸せを与えることはできるだろう。だがその幸せを永久に持続させてやる力をまるで持ち合わせていないのである。
月が満ちたり欠けたりするように、光の裏で黒いところを持つように、それが大きくも小さくもなるように、私は今でもこの仕儀について混沌とした気分を抱いている。私の不甲斐ないところが、あだなところが、関わった人間を不幸にする。こういう性質は、私の生涯でおそらく変わらない黒いところであるだろう。なぜならこの点が、私が生まれつき持っている唯一の浮気な部分なのであるから。
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恋愛観
さて、私は女と別れてから、女のすぐにまた来たいという願いから、都合の合う三週間後くらいにまた会った。会うべきじゃないとも当然思ったが、女は一時的な幸せでも構わないと言うから会った (私を会える推しのように考えているのなら、私もそれが最適であると思う)。かくいう私もそういう無責任な浮遊の言質を得たので女といた間は女と同様に良い気分だった。そうして浮ついた私は唯一の温情を作用させることが出来なかった。しかしこれは老婆心に過ぎない。
......その日の夜中に、眠っていた女は忽然と発作のように泣き出した。女は鼻を啜りながら、なんで泣いているんだろうと自問するように言った。私は疲れているんだと言った。女は涙は私の所為じゃないと言った。涙の理由について、私の存在を初めて持ち出したのは女のこの一言である。畢竟これは涙が私の所為だと言っているのと一般である。
私には涙の理由がすぐに理解できた。
女はどれだけ私を好きであっても、私とどれだけ近い距離にいても、私を手に入れることができないのである。私は女を決して好きにならないのである。だから泣くのである。私はこれをひっくるめて疲れているのだと表現した。女もこれを理解しただろうと考えている。
私が女を好きと言うのなら、好きとは余程くだらないものである。私はきっと人を好きにならない。もちろん結婚して子どもが欲しいと思っている。何なら人よりその願望は強いだろうと思う。だがその相手には、醜い我のために、単純な好きより遥かに、世間体や雑多なものを気にしてしまうと考えている。その相手に好きを偽造することはできる。普通の好きを自分の中で再現するだけであるからだ。だがそれは純粋な、自然の好きでは決してない。私の持つその人間に対する情動は、健全な人間が育むことのできる高尚な恋や愛といったものとは全く性質を異にしている。一言で云えば、私がその女を好いているという感が、私の劣情と比例しているのである。その女について何物も投げ出して構わないというような、箔のついたある種自己犠牲の活動ではなくて、自己愛に満ちた下賤で放埒なものなのである。
女は強いと言うが、確かに肯綮に当たるもので、女は恋の話になるといとも容易く絶対の域に入ることができる。思う人と一緒になることができれば、自分の身や境遇は全くどうなっても構わないという覚悟を簡単に口にする。そういう強さを私はと持ち合わせていない。
私は人を好きになる資格を持っていない。そしてそんな資格はどこにも売っていなければ、部屋中どこを探しても見つからないのである。多分、好きというのは難しい話ではないのである。もっと簡単で単純なこころの現象なのである。私が好きを手にするには、私は激しく回る頭を押さえつけるほどの強大な力、———運命や巡り合わせに首を擡げるのが最も軽便だと今は考えている。
......やはり私の恋愛観はあまりに浪漫派すぎる。
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供花
浮気になった私はNと連絡を取ろうと思い立った。これは私の清算のためにくぐるべき門だと考えていたことである。NのLINEのアカウントを中学校のグループから探し出して友達追加をしてから、ふとプロフィール画像を見ると、そこには同じアクセサリーをつけたNと男の手が並んで映っていた。私はそれを見て少なからず安堵したとともに、私から積極的に介入することはやめることに決めた。
——女はまた泣いた。そうしてついに電話で泣きながら胸中を暴露した。それを聞いた私は例のごとく肝を冷やした。こういう経験が初めてでない私は、自ずから女というものを自然と避けて生きてきたはずだった。また、今度はこうならないように割り切っておいたつもりであった。しかし不味かったことは、女の胸中の秘密が、思いのほか年月の深いもので、彼女にとって相当の重みがあったのである。そして女がそれを今まで隠していながら接近してきたのである。つまり女は、私と遠回りしてでも交際関係に至るためにあの晩誘いをかけたのであった。
私は欠けた月の辻占の通りこの女を不幸にさせたのである。ただ少し、今までと違うのは、潸然と震えた声で告白されたときに、私は大いに悲しくなったのである。今にも泣きそうになったのである。冷えた肝の奥から熱い涙が上ってきたのである。...私はこの時、蝋燭の芯からゆらゆらと湧き上がってくる、燐火のような、灯火のような、熱く冷たいこの悲しみが「好きだ」ということだと悟った。
それでいて私が女と交際しない理由を、私は女のために刻苦して並べてやった。この時間は私にとって、女にとって耐え難い苦痛の時間であった。本音をいつでも隠しているような私が、古びた刃物のような醜い本音を、可能な限り錆を落として見せてやった。それはおかしな理由で、全くくだらない自尊心そのものであった。私は女を傷つけるかもしれないことを厭わずに、それらを包み隠さず話してやった。女がそれを理解したかはわからない。私はなんだか自分が愚かに思えた。
女は散々泣いた後で、私に向かって淡々と、交際するか、関係を断つか決めろと言った。そもそも私は交際しないと言っていたはずであることは、その時には彼女のために口にしなかった。正直に言うと、交際してもいいのではなかろうかとも思っていたくらい、女を可哀想に思っていた。決して麗質なわけではないし、頭が切れるわけでも上品なわけでもない。女と私の両人を知る数少ないものが交際していることを知ったら驚くと思う。それでも付き合ってやらなきゃ可哀想だと思ったのである。しかし女は付き合うだけでは収まらないような性格で、きっと婚約するつもりである。交際について婚約が話頭に持ち上がってくると、交際というものの内実はいよいよ変わってくる。私は女に対して、生涯最も近くで支えてやる責任がないからこそ優しくすることができた。家族間の付き合いをして、子どもを授かって育て上げる責任がないからこそ慈愛の念を抱いていた。ところが婚約に至るべき交際をするならば一生涯をともにする責任を背負うことになる。その時すでに、私の愛の担保は無くなってしまっているのである。そして同時に女は元の純朴な女ではなくなって、全くスポイルされてしまうのである。もう少し強い言葉で、同じ意味を繰り返すと、交際前の女と交際後の女というものが同一だと思うだろうか。結婚前と結婚後の女が、はたして同一のものだと思うだろうか。
これを概して無責任と言えばそこまでである。
そうすると、ただ私は、どうせ別れる交際をして、つまり決別という女にとっての最大の悲しみを少し先の未来に延長させて、かつ利息までつけてしまうことになる。だから私は悲しむ女に涙を流しながらもきっぱり関係を断ってしまったほうが良いと考えている。私のような下賤な人間が女の幸福を願うことはできないが、その方が後々女にとっては幸せである。
こういう鮮やかで派手なこころのやりとりを済ませてから数日後、私は女と会った。女はやはり別れ際に、今後来る別れを悲しんでいた。女は私とこうして会ってから生きてきて一番幸せだったと、惜しげもなく言った。私は泣きそうだった。泣く資格は無いから、寒空に塩を振ったような星を見て堪えていた。
私は心からあの女を軽蔑している。こころから幸福を願っている。
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