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「岐津禰」No.9

          9、
 あの金貸しが島を出てからほぼ一か月、その金貸しから何か連絡がなかったか確かめるために、度部は吉津祥子の家を訪ねた。
 雨戸が閉め切ったまま、だった。度部が知る限り、あの金貸しが居た数日の間以外に、雨戸が閉め切ってあったことは一度もなかった。庭に、洗濯ものも干していない。
 昨夜は、遅くまで「キツネ」は開いていたし、吉津祥子が、何も云わず、店じまいの片づけを始めたのを見て、度部は店を出て官舎に戻った。
 以来、吉津祥子は金のことについて何も云ってこなかった。相変わらず自衛隊員で賑わう店内でそんな話が出来る訳も無いのは分かっているが、自力でどうにかなる算段でもついたのかも知れない。それならそれで構わないが、このままご馳走にありつけなくなるのは辛かった。
何れにして一度は確めて置かねばならなかった。

 度部は、吉津祥子から金の相談を受けて数日後、休暇を取って、東京に憲兵隊元上司だった成瀬を、警視庁本庁に訪ねた。
 成瀬に、好きな女が出来た、所帯を持つつもりだ、家を買う、30圓程、用意してくれないか、と頼んだ。
 いきなりの訪問で、久しぶりの対面にも関わらず、旧交温める心の準備も余裕もないのか、成瀬は明らかに不機嫌な顔で度部を庁内の自室に度部を入れた。
 度部から結婚話を聞いた成瀬は、度部の今回の訪問の目的をすぐ察知したか、更にその顔に苦虫を噛んだような不機嫌を露わに、度部が用件を切り出すのを待った。そして、
暫し間を措いて、こう云った、
(貴様も知っとると思うが、俺は次の都議会議員選に出る。金は幾らあっても足りない、毎日、金がどんどん減っていく。まして30圓は大金だ、いきなり用意しろと云われても幾ら俺でもすぐにはどうにもならん)
と断ってきた。成瀬のこの対応を予想していたが、寸分違わずそのままだった。そして度部は用意してきた通りの台詞を口にした、
(あんた、勘違いしてねえか?あんたが議員先生に成ろうが成るまいが、俺の知ったこっちゃねえんだよ。俺は、ただ、あんたに預けたままの、俺の金、渡して貰えりゃそれでいいんだ)
 成瀬は、真っ赤な顔に成って度部を睨んでいたが、
(すぐにはどうにもならん。いつ、要るんだ、その金、それに合わせて用意する)
(日が決まれば連絡する。明日かもしれねえし、半年先かもしれねえ。だが成瀬さん、間違っても俺の取り分には手をつけるんじゃねえ。例え一銭でも足りなけりゃ、俺は、俺とあんたが、昔、何をしたか、あんたの懐の金の出処を世間にぶちまけてやる、そうすりゃ、あんたの夢はぶち壊れ、あんたは制服着たまま、後ろ手に手錠を掛けられる、忘れるな)
度部は両掌を後ろに回して体を一回転させてみせた。そして、部屋を出た。
 度部は確信した、成瀬の口ぶり、その眼の動きから、成瀬が俺の取り分の金に手を付けていないと確信した。これも今回、事前に連絡せず、突然に訪問した理由であった。
 そしてもう一つの目的は、急に入用と成った時、吉津祥子が、金貸しがいつ来ると判っても、成瀬がすぐ対応する出来るように予め金の準備、心の準備させておくことだった。 それも確認出来た。
 あとは、あの金貸しがいつ来るか、その確認だけだった。もし、金貸しが2佰圓一括返済をゴリ押ししてくれば、その口、捻って、汐水、たっぷり飲ませてやればいい。