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時代を動かす一転変化力(重職心得箇条)

佐藤一斎
「重職心得箇条」から学ぶ、
経営者を支える者の心得

今回は、第7回目は「澁澤栄一に学ぶ、一転変化力」

アーカイブはコチラを参照
第1回目 金兄妹から学ぶ
第2回目 酒と料理の組織論
第3回目 伝統と因習
第4回目 機に応じる秘訣 ファイザーと秀吉
第5回目 忙しさの方程式
第6回目 刑賞与奪の


重職心得箇条 第12条

大臣たるもの胸中に定見ありて、
見込みたる事を貫き通すべき元より也。
然れども又虚懐公平にして人言を採り、
沛然と一時に転化すべき事もあり。
此の虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。
能々(よくよく)視察あるべし。

管理職たるもの
自分の意見をしっかりと持ち、
一度決めたら、それをブレずに突き通すことは、
当然のことである。

だがそれと同時に、
先入観・偏見を持たず、
公平に他者の意見を聞き入れ、
冷静に判断し、納得したら、素早く変化せねばならない。

それには、
心を虚にして、人の意見をしっかり聞くこと。
そして、
納得したら、素直に一転変化!

我意が強すぎると、どうしてもそれが出来ない。
できないと、時期を外してしまい、
その後に起こる様々な弊害を
免れることはできないだろう。

ストンと落ちたら、一転変化
それこそイノベーションの原点だ。

澁澤栄一でみる一転変化力

この言葉で、頭に浮かんだのは、
「論語と算盤」で有名な渋澤栄一。
大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、
新札の顔でもある。

重職心得箇条にもあった、

虚懐転化なきは、我意の弊を免れがたし。

虚心坦懐、素直な気持ちで人の意見を聞き、
納得したら、一転変化
そうしないと、逆に我欲・独断、凝り固まった我意という
弊害に囚われてしまう。
年齢を重ねるごとに、変化に弱く、現状維持を固守してしまう。

そうなる前に、一転変化、
それが出来たからこそ、
運を引き寄せたのではないだろうか。

それが出来たからこそ、生涯現役。

澁澤は、大蔵省を退官した33歳から、
逝去される91歳までの58年間、
最後まで現役実業家として活動された。

生涯現役で活動するには、
時代や世代を完全超越せねばならない。

その秘訣は、一転変化。
一転変化力は、大いなる武器なのだ。

渋澤栄一の人生を辿る一転変化力

渋澤は埼玉県深谷の豪農の子として生まれた。
青年期は、当時の若者の流行的思想である
尊皇攘夷・倒幕思想の影響を受け、
23歳の時、群馬県の高崎城を襲来と、
横浜焼き討ちを計画、
70名程の同志を集めて武器まで手配していた。

しかし、そこまで準備しながらも、
直前に
「無謀すぎて無駄死にするだけだ」
「単なる農民一揆で終わってしまう」
と指摘され、その意見の道理を認めて、いきなり中止。

ものすごい、一転変化力だ。

感情より、道理を重視
これこそ、一転変化力の秘訣ではないか。

その翌年、一橋慶喜公に仕え、
2年ほど奉公していると、慶喜公は将軍になる。
その翌年、将軍の弟君に従いフランスへ。

尊皇攘夷に夢中になり、
横浜焼き討ちを計画していた農民が、
3年後に幕府の代表となり、
ナポレオンに拝謁、ヨーロッパに留学・・・

めまぐるしいスピードで、
人生を回転させている。

この連続一転変化力の秘訣は、
純粋なまでの好奇心と向学心

そして、当時の志士とちょっと違うのは、
実家を捨てて出奔したのではなく、
長男なのに実家の許可と、
経済的支援まで受けて上京したこと。

経済的余裕があったので、
逆に気軽に一転変化が行えた。

武士階級でなかったため、忖度せずに、
相手に対しても虚心坦懐

素直な気持ちで向かい会えた。

この素直さは、一転変化力には必要だ。

後ろ盾を失っても、澁澤は、
名門一橋家で、栄進していく。

ものおじしない、
社交性と天真爛漫さも、一転変化力の原動力だ。

渋澤が本当の意味で活躍するのは、
帰国してから4年後、
大蔵省を辞し、銀行創設を行う頃からだ。

農民、武士、幕臣、フランス留学、
大蔵省、銀行創設の実業家と、
短期間にものすごい勢いで、変化していく。

日本初の銀行を創設するには、
政治家、官僚、旧大名、家族、商人たちなど、
日本中のお金を持っている人たちを
巻き込まない限り不可能だ。

誰をも巻き込む人間的魅力、
チャーミングさと、
その大切さを訴える説得力

周りを巻き込む力がない限り、
一転変化力は、
単なる気分屋の妄想で終わってしまう。


生涯変わらぬ理念・志

一転変化を行うのに、何よりも大切なことは、
誰もが理解しやすいシンプルな、
生涯を通じて変わらぬ強固な理念
だ。

「日本全体をよくしたい、強く繁栄した国にする」
という揺るぎない志を終身貫いており、
その理想に従って生きた人生だった。

自己利益ではなく、社会理念のためという、
一環した人生だ。

この時代は、財閥全盛期で、
多くの財閥が産声をあげた時代だったが、
一族が株式を所有する
閉鎖的な経営法である財閥主義を嫌い、
民間から広く出資を集う
開放的な合本主義を貫いた。

三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎から、
財閥同士の提携話を持ちかけらえる話は有名だが、
誰に何をどう言われても、
その信念は揺らがなかった。

人は死ぬまで同じ事をするものではない。
理想にしたがって生きるのが素晴らしいのだ。

これは、澁澤晩年の言葉だ。

一転変化力があったから、
500近くの会社を立ち上げられた。

創業は利益が出るまでが大変で、
利益が出るようになると、
それまで知らんぷりだった人や
お金が集まり動きだす。

澁澤は、その段階になると、
もう大丈夫だと、その事業から手を引いた。

投資としてはまだ売り時ではなくても、
その株を売ってしまい、
売却資金は、次の会社につぎこんだ。

給料も第一国立銀行からの給与のみであり、
立ち上げた会社の社長になっても、
基本は無給だったという。

そんな人物だからこそ、信頼され、
多くの企業から求められた。

新しき時代には、新しき人物を養成して、
新しき事物を処理せねばならない。
「論語と算盤」実業と士道

社内カンパニー制や持ち株会社、
M&Aを絡めた新規事業など、
これから益々、本社を軸とした創業が増加するだろう。

本社の役員がこれら新会社の顧問になる場合も多いだろうが、
この時管理職として意識するのは、渋澤の姿だ。

自分の役割は何か。
成功は一個人のものと思わず、次世代に譲っていく。
次世代が働きやすい環境づくりに終始し、
決してその組織に君臨しない。

澁澤が、500社近くも創業したというと、
楽々とやったように感じるかもしれないが、
政府や財閥の妨害を受けながらの、
大変な苦労の連続だったという。

苦難を乗り越えながら、
上手に変化していくことが大切だ。

現在のような過渡期は、
動きだしたら、怒濤のように時代が動く。

オーナー企業こそ、一転変化!

一転変化は、時代のチャンスをつかむ力だ。
そして、どう考えても、
強固な企業理念のあるオーナー企業が絶対に有利だ。

進化には速度があり、
平和時はゆったりできるが、
現在のように、国の内外の動乱期は、
一転変化を繰り返して
進化・改訂していくしかない。

性格上、社長がそれが出来ない場合は、
管理職が促す必要もある。

そして、もう一つ大切なことは、
「朝令暮改」で戸惑わない人材教育だ。

それには強固理論の確立と、トレーニングが必要だ。

変化に戸惑っているようでは、流されてしまう。

現在利益の出ている商売が、
たった一つの発明や法改正、そしてウィルスで、
いきなりダメージを受ける時代だからだ。

今年1月にアメリカのコンサルティング会社
(アリックス・パートナーズ)が公表したリサーチには、

この未曽有の事態を乗り切る自信が
大いにあるという回答は、
中国50%、アメリカ48%に対して、日本はたったの24%、
脅威と捉えた経営者は31%もいた。

M&Aするくらいなら、廃業した方が良いと、
最後まで考えを変えられず、
守りに徹して判断できない経営者は多い。
特に、高齢化してくると、
不馴れなことには踏み越えない。

そんな時は、澁澤栄一を思い返して欲しい。

彼は、一転変化を繰り返し時代を乗り越え、
91歳までまわりに大いに慕われ、
修身現役経営者であり続けた。

失敗を恐れてリスクをとれないと思うより、
一転変化で前進していくことこそ、大切ではないか。

山脇史端
一般社団法人数理暦学協会

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下記サイトに要約文を掲載させて戴いております。
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